第11話 白銀

 時は、佐倉亨誘拐事件から、一ヶ月ほど遡る。

 佐倉正は、地下三階でエレベーターを降りると、スーツの襟を正した。

 ここは、一般の社員は立ち入ることを許されない聖域である。

(オレ、なんかヘマしたっけ……?)

 急に呼び出された正は戸惑いながらも、ロマネスク調の精巧な装飾の施された廊下を真っ直ぐに進む。

 やがて、突き当たりにこれもまた見事に飾り付けられた扉が現れる。

 その扉は、音も立てずにゆっくりと開かれた。

「佐倉正、入れ」

 正は息を呑んで、その部屋に足を踏み入れる。

 これから謁見する相手は、正のような普通(・・)()異能者ではない。

 誕生と破壊を繰り返してきた人類が生み出した、異端の中の異端、人外の域に属する存在である。

 正の立っている場所より一段高くなっている壇の上、絹モスリンのカーテンで外見を避けられた場所に、その部屋の主はいた。

寒凪(かんなぎ)様、佐倉正が参りました」

 台座の手前に立った専務取締役が厳かに報告する。

 カーテンの内側から、気品のある少女の声が響いた。

「友よ」

「はい」

 正は背筋を伸ばして答える。

(やばい、圧し潰されそう……)

 緊張で胃液がせり上がってくるような感覚を覚えた。

 寒凪かずら、と便宜的に呼ばれるこの少女が、世界を睥睨してきた異能者『白銀の脳細胞』であることは、もちろん表沙汰にはされていないし、この会社でも正を含めた数名にしか知らされていない、超をいくつ付けても足りないほどの極秘事項である。

「貴方のご子息、SLWに囲われているそうですな」

 寒凪の声が部屋に響く。

 正は、一ヶ月ほど前の愛しい妻からの電話を思い出した。

「はい。……ああ、もちろん息子には寒凪様のことは話していませんよ。というか、私の仕事も伏せています」

「そのことは心配しておりません。それよりもよくお聞きなさい」

 寒凪は少女には似つかわしくない厳かな口調で告げる。

「ご子息は、悪しき者どもに狙われております」

「……はいぃ?」

 寒凪の言葉に、正は気の抜けた声を漏らす。

 専務がゴホンと一つ咳払いをしたのを聞くと、正は慌ててもう一度背筋を伸ばした。

「寒凪様、今、何と」

「ご子息はこれから二ヶ月…… いえ、一ヶ月以内に、悪しき者どもに誘拐されるでしょう」

「どういうことでしょうか。息子がなにか狙われるようなことをしたと?」

「貴方も気づいているはずです。十一年前の奇跡…… あれは新しい宝石(・・)…… 我らが同胞の誕生でした」

「……」

 正はごくりと唾を飲み込む。やはり、という気持ちと、まさか、という気持ちがごった返して、頭がくらくらしていた。

 宝石ー彼女はSn細胞の結晶をそう呼ぶー、その存在は正も寒凪に出会ったときから知っていた。彼女もまた、『白銀の脳細胞』と呼ばれる、世界の至宝の一つを抱えた異能者である。そのためにずっと、世界中を逃げ惑っていたということも、正は知らされていた。

「息子が事故から回復したのは、その宝石の力に拠るものだということでしょうか」

「その通りです。そしてその宝石は、悪しき者の智恵によって生み出されたものです」

 正は(回りくどい言い回しをする)と思いながらそれを聞いていた。

 この異能者は、ときに遠回しでもどかしい説明をする。そのような言い方を好んで使っているようにも思えた。

「悪しき者とは、ビッグ4のことですか。だとすれば、ビッグ4は自分たちが生み出した結晶を取り戻すつもりなのでしょうか。息子にこのことを告げて注意させれば、いや、SLWから息子を連れ出せば、それを防げますか?」

「それは難しいでしょう。彼らは執念深い。どこまでもご子息を追いかけるはずです。その意気を挫かぬ限り、ご子息は狙われ続けます」

「SLWに、ビッグ4の意気を挫く力はないと仰るのですね」

「そういうことです。さて、友よ。貴方はどうします?」

 寒凪が問いかける。正は間髪置かずに答えた。

「息子を助けます。もちろん、貴女に迷惑はかけません」

 愛しい妻との間に生まれた、大事な息子である。これまでに築いた地位など惜しくはなかった。十一年前、自分の手の届かないところでもう一人の息子を失っていたことも、決断に影響したのかもしれない。

 正はスーツの内ポケットに常に入れている封筒を、専務に対して差し出した。

 封筒には「退職願」と書かれている。

 専務が眉を顰めた。

「お前に抜けられると、ここの警備が薄くなる。それに退職したところで、お前がここにいた情報は残る」

「しかし、ここを辞めない限り寒凪様に迷惑がかかります」

「友よ、貴方の意思を尊重します。それは受け取りましょう」

 寒凪が何か言おうとする専務を遮って答えた。

 専務は訝しげな目を寒凪に向ける。

「寒凪様、しかし……」

「会社の資料から我らが友人に関わる情報をすべて消し去りなさい。そうすれば彼は初めからここに居なかったことになります。事が静まってから、また戻ってくればよいのです。情報の消去と復元は、私が責任を持ちましょう。友よ、我々は待っています」

 寒凪は専務と、最後の一言は正に対して告げる。

 正も専務も、正が何年この会社に勤めているか、寒凪が考慮しているのか測りかねた。書類だけではない、映像も音声も、すべてを消そうと思ったらどれほどの時間がかかるかわからない。しかも、正が戻ってきた後でそれを修復するには更に時間を要するだろう。しかし、この会社で寒凪の意向に背くことができる人間はいなかった。

 専務は渋々といった様子で退職届を受け取った。

「では、お前は初めからここに居なかったことにする。データの削除は我々に任せて、お前は軽井沢へ向かえ」

「軽井沢?」

「ビッグ4の所有する施設の一つが軽井沢にある。奴らは一旦そこにお前の息子を連れ込んでから、日本を発つ気だ。軽井沢で情報を収集しながら、息子が逃げ出してくるのを待て」

「逃げ出す? 息子は逃げ出せるのですか?」

 正が期待を込めて寒凪に問いかける。

 寒凪は静かに答えた。

「逃げ出すことはできますが、逃げ切ることはできません。彼らはとても執念深いのです。世界のどこまででも追ってきます。貴方は、ご子息が逃げ切るために手助けをするのです」

「手助け…… ですか」

「SLWも今回は味方です。ご安心なさい。ご子息は私や緋の心臓、碧の瞳とは違い、頼もしい友人(・・)を持っています」

「友人……?」

 その言葉に、わずかに力が込められた事に気づいて、正は繰り返す。

 寒凪はもう答えなかった。

 専務が話を取りまとめる。

「それでは、佐倉正は初めからこの会社にいなかったこととします。佐倉正は軽井沢で情報を収集しつつ、逃げ出してきたご子息を保護し、SLWとともにビッグ4を退けること。その後、事が片付き次第、遅滞なく本社に帰還すること。よろしいですね」

「はい」

 正は頷くと、深く一礼してから部屋を後にした。

   ❃ ❃ ❃ ❃ ❃ ❃ ❃ ❃

 須藤が研究室に顔を覗かせた後、待機室に戻ると、美雪が戻っており、ほたると情報交換をしていた。

「おう、ミユキ。そっちはどうだ」

「おかえりなさいませ。感知系の能力者に現場近辺と放置された自動車、それに逃走経路と考えられるルートを数本、調べていただきましたが特に有益な情報は残っていませんでした。それより、小野準二等が受けた情報提供というのは……」

「それについては信頼していい。詳しくは移動しながら説明する。これから動ける隊員集めて、あと長谷川さんと第八捜査隊にも協力要請して、軽井沢に行くぞ。お前も準備しろ、ホタル」

 急に呼びかけられて驚いた様子のほたるが、躊躇いがちに訊ねる。

「わたしも行っていいのですか? もとはといえばわたしの失態で……」

「だからこそ、お前も行きたいんだろ。心配すんな、お前の腕なら大丈夫だ。それに、何かあったら俺が守る」

 ほたるは一瞬泣き出しそうな顔をしたが、それをこらえて「はい」と頷く。

 須藤は今度は美雪に目を向けて、「今、第一捜査隊で動ける戦闘員は?」と訊ねる。美雪は須藤が到着する前に用意しておいたのであろうメモを見つつ、「戦闘員としては、三等は小郡、岩倉、小山、赤松の四名、準二等は小野さんのみ、二等は鈴木、藤田の二名、準一等は私と森の二名。以上の九名がすぐに動けるはずです」と流れるように答えた。毎度のことながら、須藤は部下の準備の良さに感心する。

「そいつら全員に連絡してくれ。俺は第八捜査隊に協力を要請してくる」

「承知しました」

 美雪は携帯端末を片手に、また待機室を出て行こうとする。

 須藤もデスクの固定電話に手を伸ばそうとしたとき、その固定電話のベルが待機室に鳴り響いた。

「……っ!!」

 部屋にいた三人の目が電話機に集中する。

 須藤は、一呼吸置いてから受話器を取った。

「はい。こちら須藤第一捜査隊隊長待機室、須藤です」

『サクラトオルと名乗る男性からお電話です。お繋ぎしますか?』

 受付の女性の端的な問いかけに、須藤は思わず聞き返した。

「佐倉亨から?」

 須藤の背後で、ほたると美雪の視線が交錯する。

 受付の女性は『はい』と機械的に答える。

 須藤が「繋いでください」と告げると、「少々お待ちください」という一言の後、受話器から聞こえる音の質が変わり、『もしもし、もしもし!』と、かなり焦った調子の少年の声が、須藤の耳元で響いた。

 須藤は目を見開いて、思わず叫ぶように呼びかけた。

「こちら須藤。佐倉君かい?」

『あ、須藤さん? お久しぶりです』

 亨は須藤の声を聞くと安心したようで、妙に落ち着いた挨拶をした。

 須藤も頭を整理しながら会話を続ける。

「大丈夫かい? 何もできずに危険にさらしてすまなかった」

『こちらこそ、ご迷惑をおかけしました…… あの、俺、今、軽井沢にいます』

「ああ、知っている。今から向かおうとしているところだ。もう少し待っていてくれ。……今、君がいるのはどこだい? 安全なところか?」

『んん、安全といえば安全だと思うんですけど……』

 そこで、亨は言葉を濁す。

 須藤は首を傾げた。「どこだい? 警察署とか……」

 亨は受話器の向こうで誰かと何やら言い合っていたが、しばらくして電話口に戻ってくると、言いにくそうに答えた。

『あの…… 今、親父と一緒にいるんです……』

「お父さん?」

 須藤が思わぬ単語が飛び出たことに素っ頓狂な声を上げた。

 すると、またもや何か言い争う声が聞こえた後、今度は低い男の声が『もしもし』と話を引き継いだ。

 須藤は何故か姿勢を正して対応する。

「はい。佐倉君のお父様でしょうか」

『ええ、亨の父親です。佐倉正と申します』

 堂々とした挨拶に、須藤も改めて名乗る。

「SLW日本支部第一捜査隊隊長、須藤俊彰です」

 すると、亨の父親と名乗った男は急に調子を変えて、『いやー、バカ息子がお世話になっております! すいませんねぇ、むざむざ誘拐されてご迷惑かけて! ま、この通り無事に逃げ出してきたんで、勘弁してやってください!』と、今度はやたらと馴れ馴れしく話し始めた。

 須藤は急な変化に一瞬戸惑ったものの、すぐ我に返って訊ねた。

「失礼ですが、どうして息子さんと一緒に? 偶然ではありませんよね?」

『それについては、ま、ある筋から情報を受け取っていたとだけ申し上げておきましょう』

 ある筋、と聞いて、四条理仁の情報提供と結びつき、須藤は全知全能と言われるある人外の存在を思い出した。

「つまり、あなたが…… 白銀の脳細胞の使者、ということですか?」

『……今は休職中のオヤジですよ』

 否定しないことで、正は須藤の問いかけに答えた。

 正は反撃するように問いかける。

『どうしてそう思ったんです? そちらにもいい情報屋がついているとか?』

「……そんなところです。大丈夫です、貴方のことは口外しませんから」

 須藤は正に告げる。口外できるはずもないと思っていた。白銀の脳細胞の関係者が日本にいると明らかにされれば、日本が彼の人をめぐって戦場になりうる。

 正が安心したように息を吐いたのが聞こえた。

『じゃあ、お互い深入りしないということで。しばらくは私一人で亨を保護するつもりですが、急いでください。そんなに長くは保ちません』

「すぐにでも出発します。もうしばらくお待ちください。ところで……、貴方の武器は? 佐倉君を守れますか?」

『今はしがないカボチャ農家ですが、前職は白銀の脳細胞の影武者です。しばらくは…… そうだな、今のところの敵さんの能力と数から考えて、半日程度なら大丈夫かと』

 正は武器については答えなかったが、白銀の脳細胞に仕えていたというのであれば心配はあるまいと、須藤は結論づけた。

「すぐそちらに合流します。住所を教えてください」

 正は隠れ家の住所を町名から伝えた。須藤は素早くメモを取る。

 それから一言、二言交わして、須藤は電話を切った。

「隊長、佐倉さんはお父様と一緒なんですか?」

 電話が終了するのを待っていたほたるが訊ねる。美雪はいつの間にかいなくなっていた。他の隊員に招集をかけているのだろう。

「ああ、親父さんに匿われているらしい。早く合流しなきゃな」

「お父様も異能者なのですか?」

「わからん。白銀の脳細胞の使者なら何らかの能力者だろうが…… とりあえず腕に自信があるようだったから、大丈夫だろ」

 亨の父親の件については、須藤は今回についてはあまり深く立ち入らないことにしていた。今はそれよりも亨を救出し、ビッグ4幹部の顔を暴くことが優先されるべき事項である。

「ホタル、戦闘服に着替えておけ。そのまま出発する。俺は第八捜査隊に協力要請する」

「はい」

 ほたるは駆け足で待機室を出て行った。

 須藤はもう一度電話機の方を振り向いて、今度は第八捜査隊隊長の待機室への内線番号を素早く押した。

   ❃ ❃ ❃ ❃ ❃ ❃ ❃ ❃

「なんで電話勝手に切るんだよ! っていうかどういうことだよ! アンタ求職中って、会社クビになったのか⁉」

「落ち着け亨、話せばわかる」

「落ち着いてられるか⁉ 親父がなぜか誘拐された先の軽井沢にいて、カボチャ畑耕してて、求職中ですって言われて⁉ っていうかなんで息子が誘拐されてんのにそんなに悠然としてられるわけ⁉ 今まで知らなかった俺もアレだけど、アンタ何者⁉」

 休職と求職では大分意味合いが違うが、正は叫ぶ亨に構うことも訂正することもなく、急須で蒸らしていた緑茶を湯飲みに注いで亨の前にそっと差し出す。

 一通りの疑問を叫び終えた亨は、大人しく湯飲みに手を伸ばした。

「父ちゃんはな、電話してたの聞いただろ、とある凄い、名前を出すのも憚られるほど凄い御方の護衛の仕事をしていたんだ。その御方から、お前が誘拐されるって予言を聞いてな。その御方にご迷惑はかけられないから、会社は一時退職したんだ。で、こうしてお前を匿って、SLWの人たちと協力してビッグ4を叩くために、軽井沢で情報収集していたんだよ」

 緑茶を飲みながら、亨は半眼で正を睨む。

「……そんなの急に信じられると思う?」

「ま、信じられないだろうな」

 正も頷く。亨は頭の中で相棒と相談する。

『信じていいと思う? お前も知ってるだろうけど、この親父、相当ちゃらんぽらんだぞ』

『パパさんのちゃらんぽらんっぷりはもちろん知ってるけど、トオルだってパパさんのお仕事、詳しく聞いたことなかったじゃん。ボクはむしろ息子が父親の仕事を知らなかったことにビックリだよ』

『普通の会社員だと思ってたんだよ。っていうかおふくろがそう言ってたし』

『ママさんも知らないのかなあ? 知らなさそうだね、あの電話の調子だと、めちゃくちゃ隠したがってたみたいだし』

『あの慌て様…… やっぱり本当なのかぁ?』

 亨が黙っているのを見ていた正が、突然思いついたように話に割り込む。

「頭ン中の友人(・・)と、相談でもしてるのか?」

「え……っ?」

 亨は目を見開く。亨は小学生になって以来、この相棒のことは誰にも言っていない。正もあやのから、『亨は大人には見えないお友達とお話ししてるのよ』などと説明を受けて、それを信じていたはずである。父はいつから知っていたのだろうか。

「見くびるなよ、俺だってお前が生まれたときからお前の父親やってるんだ。といっても、その声の正体に気づいたのは、その御方に仕え始めてからなんだが……」

 亨の興味は「その御方」にも向いたが、それよりも聞かなければならないことがあった。

「親父は、こいつのこと知ってるの……?」

「ああ。……結晶の声、だろ?」

 正が真っ直ぐに亨の目を見ていた。

 亨は唇を噛み締めて頷いた。

   ❃ ❃ ❃ ❃ ❃ ❃ ❃ ❃

 風音の悲しそうな目を見て、亨は聞いていいものか迷ったが、それよりも知りたいという気持ちの方が勝った。

「その、君が出来損ないっていうのはどういう意味?」

 風音は亨の問いかけに一つ頷くと、おもむろに顔を近づけ、右目がよく見えるよう長い前髪を掻き上げた。

 その目の異常は、亨にもすぐわかった。瞳孔と呼ぶべき部分はなく、虹彩にはガラス片が散らばっているかのようにきらきらと輝いている。

「見ての通り、小さな結晶が凝集せずに散らばっているの」

「だから、出来損ない?」

「そう。私に起きた生命の危機は、貴方みたいな外傷ではなくて疾病。熱と呼吸困難で危篤寸前にまでなってね…… でも、そうやって生命の危機に陥ったところを、医者の治療によって救われたの。だから肉体を復活させる必要がなくなって、結晶化が途中までしか進行しなかったんでしょうね」

 風音は興味なさそうに言った。

 亨は「でも」とさらに続ける。

「でも、中途半端でも結晶はあるし、能力も使えるんだよね? 出来損ないって呼ぶのはしっくりこないんだけど」

「そう? まあ確かに、能力は普通の結晶化能力者と同等に使えると思っているけれど。もう一つ、貴方達にあって私にはないものが一つあるの。№3が私を出来損ないと呼ぶのは、それが欠けているからというのが大きいわ」

 風音は亨の額に人差し指を立てる。

 亨が反射的に身を引いた。風音はそれに構わず告げる。

()が、聞こえないの」

「声?」

「貴方には聞こえるでしょう? 頭に直接響く声が」

『トオル!』

 小さな頃から一緒にいた、頭の中の友人の声が脳裏に響く。

 亨は風音に対して頷いた。

「聞こえる。事故が起きてからずっと」

「それがSn細胞の結晶の声。言ったでしょう、Sn細胞は普通の細胞じゃない。一つ一つが生命体として生きている。それが結晶化したとき、Sn細胞は自我を持って人間に話しかけるの」

「君には、聞こえないの?」

「ええ」

 そう言った風音は、どこか亨を憐れむような目をしていた。

「まあ、聞こえなくてよかったとも思っているわ。私が知っているのは、Sn細胞の自我に負けた結晶型能力者ばかりだもの」

「Sn細胞の自我に負けた?」

「Sn細胞が、本来宿主であるはずの人間の肉体を乗っ取ってしまうってこと。まあ、中にはSn細胞の自我を封じ込めちゃった強者もいるけど……」

 風音はここまで言うと、思い出したように腕時計に目をやり、「お喋りはここまでね」とサングラスをかけ直した。

 亨は急に話が打ち切られたことに驚いたが、風音が亨を振り返る気配もないのでその背中に声をかけた。

「話してくれてありがとう。また話できる? 君のことが知りたいんだ」

 亨は自分で言っておきながら、(この言い方は客に媚びるホストみたいだな……)と少し恥ずかしく思った。

 風音も同じように思ったらしい、サングラスで隠した顔で、バカにしたように笑って見せた。亨が初めて見る彼女の笑顔だった。

「何それ、誘拐されてるくせにホスト気取り? ……いいわ、貴方が大人しくしているなら付き合ってあげる」

 風音はそう言い残して、亨が監禁されている部屋を出て行った。

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