第15話 死神

 白い死神のような男の攻撃を躱しながら、美雪は自分の攻撃が当たらないことに焦っていた。

 全方向からの攻撃は功を奏さず、あっさりと受け止められた。

 それに対応して美雪はすぐに頭を切り替え、自分の血から煉り固めた螺子に、新しく四つの命令を下していた。

 一つ、碧の瞳に狙いを定めて連続攻撃を加えること。

 二つ、目標を固定せずアトランダムに攻撃を加えること。

 三つ、二つ目の攻撃から、自分と倒れている仲間たちを守ること。

 四つ、碧の瞳の攻撃から自分の身を守ること。

 しかし、攻撃は擦ったように見えることはあっても、本体に当たることはなかった。

 一つ目の攻撃が当たらないことは、仕方がないとも思えた。どこから攻めようか考えながら、一番適切な方向から加える攻撃を、歴戦の猛者といわれる碧の瞳が読み切れないという方がおかしな話だ。

 問題は二つ目の攻撃が当たらないことだった。美雪本人にもどこから襲い来るかわからない攻撃を、いかに戦場慣れした碧の瞳といえど、果たして読み切れるものなのか。

 ここで、移動中に須藤が話した碧の瞳の能力の一つを思い出す。

(これが『直近の過去と未来を視る』能力……?)

 美雪が思考している間も、ユーリはステップを踏むように赤い螺子を躱しながら、美雪に向かって短剣を突きつけてくる。それを美雪が紙一重で跳ね飛ばすという応酬が繰り返されていた。

 ユーリの口元には笑みが浮かんでいる。隙あらば飛び込んでくる短剣に込められた殺気から本気であることはわかるが、手を抜いているわけではないにしても、この戦いを楽しんでいることが表情から見て取れた。

 一方の美雪はあまり余裕がなく、ただでさえ白い肌が蒼白になっている。もともと血液を用いるこの戦い方は、SLW製の特殊な血液製剤で補っても、美雪の身体に過大な負担を強いるものであった。まして、今は自分だけでなく他の七名もの隊員を守るための螺子まで錬成している。激しい血液の消費が、美雪を貧血寸前にまで追いつめていた。

 それでも彼女が倒れないのは、自分がSLW日本支部第一捜査隊の、須藤隊の準一等隊員であるという矜持があったから。須藤が美雪をこの班に配置したということは、彼が、美雪が班員全員で帰還できるよう務めることを信じているから。その信頼があれば、自分はどこでだって、大丈夫。絶対に勝って、帰ることができると思える。自分を受け入れることを教えてくれた、『彼ら』のもとへ。

「どうした、もう終わりか?」

 ユーリの声が耳元で響く。きっ、と彼を睨みつけて螺子を振りかざす。ユーリは危なげなくそれを躱した。ひらりと音も立てず数メートル離れた場所に降り立った。

 美雪は思考する。『直近の過去と未来を視る』能力。これを攻略するにはどうすればよいか。

 美雪の脳裏に、ある可能性が浮かんでいた。

(……どうせ当たらないなら、やるだけやってみましょうか)

 美雪の螺子が、ユーリのゴーグルに向かって突き出された。

(案外やるじゃねぇの、この小娘……)

 もちろん、自分が戦ってきた能力者たちと比べて、という意味である。自分と比較して『できる』と評することができる相手など、この世界では他の結晶型能力者の『三人』しか知らない。そのうち二人は戦う前に逃げるのが得意だから、戦士として互角にやり合えるのは世界一気に食わない残りの一人だけだ。

 しかし、彼女もすでに二十分は自分の攻撃を防ぎ続けている。攻撃の筋も悪くはない。SLWの戦闘員とはいえ、この平和な日本で暮らしているのであれば戦闘に巻き込まれることは少ないだろう。その中でここまで成長するというのは、ユーリにとっては関心事であった。

 そのとき、螺子が急に向きを変えて、自分の顔面に向けて突き出される。

 ユーリはそれも読んでいたので最小限の動きで躱したが、攻撃の筋が変わったことに興味を覚えた。

「なんだなんだ、今度はどんな作戦だ?」

 美雪は当然ながら答えるはずもなく、攻撃を加える螺子の中に明らかに顔面を狙ったものを織り交ぜてくる。

 足下を狙う螺子に対応しているとき、とうとう螺子が頭部を掠めた。

「おっとっと」

 ゴーグルのバンドが擦り切れ、地面に落ちる。

 美雪がユーリの眼球を見て一瞬目を見開いたのがわかった。

 ユーリの目は、もはや人のものではなかった。

 まるで磨き上げられた水晶のような碧い球体が、燐光を放ちながら、眼窩に埋まっている状態である。

「見られちまったなぁ」

 ユーリはさして問題でもないかのように呟いた。

 美雪はすぐに攻撃を再開する。今度はあからさまに、ユーリの目に向かって螺子が飛び交う。

「眼球を壊せばいいとでも考えてんのか? 芸がないな」

 美雪はユーリに応じることなく、じりじりと距離を詰める。

 美雪の黒髪が、強い西日に照らされて輝く。

 赤い螺子が、太陽の方向からユーリに迫った。

「……まさか、日光の陰で見えなくなった攻撃なら当たるとでも?」

 ユーリは目を閉じていた。迫る螺子を短剣で叩き払う。

 そして美雪は彼が目を開く瞬間、その身体を押し倒した。

「な、ん……っ⁉」

「発射」

 美雪の冷静な声がユーリの耳元で響いた。

 状況が読み込めないユーリの目に、三秒後の世界が広がる。

 赤く染まった自分の衣装と、倒れる美雪。

(なるほど、しくじったか)

 ユーリは妙に冷静に自嘲した。

 美雪は、錬成したすべての螺子を、自分が抱き伏せたユーリに向かって発射した。

 赤い螺子は、美雪ごとユーリの身体を突き刺した。

「いやー、参ったねぇ」

 全然参った様子でないユーリを見上げて、美雪は舌打ちしたい気分になった。

 重要な臓器と血管は避けるように調整したものの、ユーリを押さえつけて自分ごと螺子で突き刺した身体は、満身創痍と言ってよい。

 対して、こちらも怪我の程度は同じかそれ以上であるはずだが、口元に余裕の笑みを浮かべたユーリは、攻撃の後しばらくして立ち上がると、美雪を面白そうに見下ろしていた。

「眼球を壊すんじゃなくて、目を閉じさせるのが狙いだったのか。目を閉じた後、未来視を発動させることで、現在の視界と未来視との間の数秒の空白が生じる。それを狙ったのは見事な策だったぜ」

 だがな、と口の片端をつり上げて笑う。

「こっちは忌々しいことに不老不死の身体だ。お嬢ちゃんの捨て身の作戦は奏功しなかったってことだな」

 美雪は近付いてくる死に対して、妙に冷静だった。恐れも不安も感じない。ただ。

(……須藤隊長たちに、格好悪いところ見られちゃうなぁ……)

 迫り来るはずの死は、しかし、なかなかやって来なかった。

(……?)

 美雪が重い瞼を上げると、ユーリは美雪ではなく、どこか遠くを見て顔をしかめていた。

「おいおい、千里眼…… それはまずいだろ……」

「……?」

 美雪が問いただそうとしたとき、血に濡れた白い衣装が翻った。

「……殺さないの?」

 掠れた声で訊ねると、ユーリは振り返らずに「仕事ができた」とだけ答えて、その場を立ち去った。

 美雪は、しばらくして命拾いしたことにようやく気づく。

 危機が去って安心するとともに、意識が遠くなっていく。

「お嬢ちゃん、しっかりしろ!」

 どこかに身を潜めていたらしい長谷川の声が聞こえたのを最後に、意識が途切れた。

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 風音は気を失った亨から手を放し、到着したSLWの面々に不敵に笑ってみせた。

「遅かったわね、SLWの皆さん?」

 そこに立っていたのは少女と、隊長格らしき青年。

 少女の方はどこかで見たことがあるなと風音は頭の中を検索し、亨を誘拐したときに一緒にいた少女だと思い当たる。

 №4の方はというと、正に戦闘服姿の男女が加勢し、明らかに劣勢となっていた。しかし、擬態(ミメシス)で傷を隠せるという点においては№4もある意味で不死者である。しばらくは大丈夫だろうと視線を少女たちに戻す。

 ほたるが叫ぶ。

「佐倉さんから離れてください!」

 それとともに、赤い飛針が風音と亨の間に打ち込まれる。

 風音は亨から距離をとってそれを避けた。

 近付こうとするほたるに見せつけるように、気を失った亨に銃口を向ける。

 須藤が「待て!」とほたるを制止した。

「お友達を助けにきたの? ごめんなさいね、せっかくの再会の邪魔をして」

 彼、気を失っちゃった、と風音が薄く笑みを浮かべる。

 ほたるは唇を噛み締めて亨に目を向ける。

 須藤が口を開く。

「二対五だ、分が悪いんじゃないか? 投降を勧める」

「そう? 彼は頑丈だし、あちらは心配していないわ。こっちも、……貴方は感知系らしいから、実質そちらの女の子と一対一だし」

「そう言うあんたも感知系じゃないのか? やはりそちらに分が悪いはずだ」

 風音は眉根を寄せる。確かに須藤の言うことはもっともであった。彼らが攻撃して来ないのは、亨という人質がいるからに他ならない。衝動的にとはいえ気絶させておいて正解だった。

「ご生憎様。碧の瞳がこちらに向かっているわ。彼の力はご存知でしょう?」

 須藤とほたるの顔に緊張が走った。

 そう、彼はこの戦況を一人でひっくり返す結晶型能力者。

(懐刀が来るまで持ちこたえてください、№4……!)

「なぁに、お迎えが来るの? じゃあさっきの話の続き、しとかなきゃね」

 須藤とほたるの視線が、声の主に向けられる。

 風音も須藤たちに向ける警戒を解かずに、意識の端を彼に向ける。

「気を失っていたとばかり思っていたけれど?」

 風音の固い声が響く。

「うん。トオルは気を失ってるよ。だからボクが代わりに出てきたんだ」

 亨の顔をしたその少年は、子どものように無邪気な微笑を、風音に向けていた。

   ❃ ❃ ❃ ❃ ❃ ❃ ❃ ❃

「『必要とされていないし必要ともしていない自分がいなくなればすべて丸く収まる』? ほんの十歳の普通の女の子が、そんなに簡単に割り切れるものなのかな?」

 亨の姿をしたその少年は、微笑を浮かべながら首を傾げる。

 風音は須藤たちを警戒しつつ、視線を亨に向けた。

「なにが言いたいの?」

「ああ、確かにご両親は君の扱いに戸惑っただろうね。なんでも見通せる眼を持った女の子なんて、普通の親には手に余る」

「……」

「でも、問題は君の思いだよ」

 少年は微笑みながらも気怠そうに立ち上がった。

「本当に両親を要らないだなんて思ってたの?」

 風音は馬鹿馬鹿しいと思いながら答える。

「当たり前でしょう。私を受け入れない両親なんて、私にとっては毒親でしかなかったわ」

「受け入れない、か。じゃあ、君は受け入れてほしかったんだね」

「……」風音は言葉に詰まる。

 少年は構うことなく続ける。

「じゃあどうして要らないだなんて言ったのか。簡単だよ、要らないと言われた自分を守りたかったから。『私を必要としていない両親なんて、こちらこそ必要ありません』って突っぱねれば、君と両親は対等さ。君だけが虐げられているという惨めな状況は解決する」

 風音は少年に向けている拳銃が震えているのがわかった。それを押さえようと、心を落ち着かせようと息を吐く。

「そうして君はボス……№1って呼ばれてるのかな? 彼の元に逃げ込んだ。君の能力を受け入れてくれる№1の元へ。№1は君が仕事をこなせば褒めてくれた。№1からの承認は、君が貢献していると、必要とされていると感じるための手近な手段だった」

「……そうね、確かに№1の言葉は魅力的だったわ。私には価値がある、私は誰かの役に立っていると感じられる。その感覚がなければ、人は幸せにはなれないでしょう?」

「そうだね、貢献していることは幸せなことだ。ただ……他者から承認されることで得られる幸せに、自由はあるのかな?」

「……?」

 風音はわけがわからないといった風に訝しげな視線を向ける。

 少年は首を傾げてみせた。

「承認されるってことは、他人の望み通りにするってことでしょう? 結局のところ君は、№1の望み通りの人生を歩むしかないんじゃないか。そこに自由はあるの?」

 風音は少年の言わんとしているところを察して、首を振った。

「……そんなもの必要ない。私は今のままで幸せなの」

「そう? ならいいけど。

 でも、№1に承認されるために、君は№1に忠誠を誓っているね。だから№1の本心は『視るまでもない』だって?

 ……ホントにそんなキレイな理由? ホントは視たくないだけなんじゃないの? 信じていた両親の心を覗き視て、自分が必要とされていないことを思い知らされてしまった。もう同じ轍は踏まない。『貴女が必要だ』という甘い言葉に縋った。利用されているだけだなんて知りたくないから」

 ーパン……ッ

 唇を震わせた風音が、手にした拳銃の引き金を引いていた。

 銃弾が少年の頬を掠める。

 ほたるが飛び出しかけるのを、須藤が「危険だ!」と引き止めた。

 風音は震える声を抑えられなかった。

「貴方、頭おかしいんじゃないの……⁉」

 少年は自分に向けて銃弾が発射されたことにまるで気づいていないかのように、無邪気な目で風音を見つめていた。

「君が疑いの目を向けていること、№1は気づいているはずだよ。そこからどんな関係が生まれると思う? ま、一度家族とバラバラになった君なら経験済みだろうね。君は今、そんな不安定な関係に縋り付いて生きているんだ」

「じゃあどうしろって言うのよ!」

 風音は叫んだ。まるで泣き出す寸前の子どものように。

「お父さんもお母さんも私を信じてくれなかった! №1だけが私を受け入れてくれた! 私にはもう№1しかいないのよ!」

「それが№1の戦略さ。誰にも、親にすら受け入れられない女の子を優しい言葉で受け入れてあげる。女の子はもう裏切ることはできない」

 風音は首を振った。もう聞きたくなかった。

「私は……」

「君は両親に裏切られたことをずっと心に抱えている。誰かを無条件に信じても裏切られるだけだと思っている。でも、裏切るか裏切らないかを決めるのは君じゃない、それは相手が決めること。君はただ、『自分がどうするか』を考えていればよかったんだ。両親と結びついていたかったのなら、条件もなにも付けずに、ただ君が信じれば良かった。君の弟が、無条件に君を信じていたのと同じように」

「私は、選択を誤ったの……?」

「裏切られる痛みにばかり気をとられて、信頼することを恐れていたら、結局は誰とも深い関係を築けない。痛みや悲しみを避けようとするから、そこから動けなくなる。悲しいことだねぇ?」

 風音が射抜くような視線を少年に向ける。

 少年は無邪気に微笑んでそれを受け止めた。

「君は今、誰とも結び付きを感じられないでいる。育ての親の№1とすらも。全部、君に勇気がなかったからだ。我が身可愛さで逃げてばかり。いじけ虫の弱虫。可哀想ったらありゃしない!」

「貴方は、誰なの……?」

 佐倉亨ではない。そのことにようやく気づいた。

 では、目の前にいるのは誰だ?

 少年の目は、ひだまりのように柔らかい色を発していた。その目を細めてにっこりと笑う。

「遅まきながら初めまして。ボクはマモル。トオルの剣であり、盾であり、……トオルが立てた、護の墓標でもある」

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