団長が使用する宿泊用のテントの中から、少女の怒鳴り声が響く。
事情を関知していない団員たちは、しかしいつものことなので「またか」と呆れたようにそれを聞き流し、夕食の準備を進める手を止めない。
一方、テントの中は、噛み付かんばかりの勢いで桜が老人に向かい叫んでいた。
「だーかーらっ! アタシと十兵衛でフォローすればいいでしょ!」
「ならん。理仁を危険にさらすわけにはいかん」
団長・六角茂信は首を横に振る。それを桜は睨みつける。
十兵衛が「アネキ、落ち着きなよ……」と桜を宥める。
「お爺さんも、心配し過ぎですって。魔王様とアネキとオレが組んで負けたことなんてないでしょう?」
「そのすべての事件について、儂は関わるなと言ったはずだが?」
「それはそうだけど、」十兵衛は言い募る。「いつだって、弱い人を助けたいっていうのが魔王様の意思だから。オレは魔王様の騎士だから、魔王様の意思に従います」
桜が「そーよそーよっ!」と同調して吠える。
茂信の後ろに、そっと白面の女――室町友恵の影が現れる。
「団長、理仁が参りましたよ」
桜と十兵衛がテントの入口を振り返る。
そこには、外出用の黒いコートに身を包んだ理仁が立っていた。
理仁は薄く緋色の光を放つ金色の瞳で、茂信を見つめる。
「団長。オレは彼女と約束をした。オレは約束を果たしたい」
「理仁。勝手は許さん。その娘は我々とは違う。受け入れることはできん」
「彼女もまた自分の居場所を探していた。我々と同じ、浮浪の民だ。ただ直向きに生きようとする人間は何者であろうと受け入れる。それがここのルールだろう?」
「ジジイ、俺は理仁達に賛成だ」
茂信はきっ、と、テントの隅で煙草を吹かしていた銀髪の男を睨みつける。その男、――松原聖は口の片端をつり上げて見せた。
「霊子のお姫様は困ってるんだろう? 助け合うのが人の道ってもんじゃねぇか?」
「団長、彼女のことを聞けば、あたくしも助けたいと思うのが人情だと思いますわ」
聖に友恵が同調する。
茂信は険しい表情を浮かべていたが、目の前の桜に向き直った。
「桜…… お前は儂と交わした契約を覚えているだろうな?」
「もちろん。だから、アタシが理仁に付いて行くのよ」
迷いなく返された言葉に、茂信が目を閉じ、思考すること約五分。
煮え切らない団長の態度に、常でさえ気の短い桜の苛立ちがピークに達しようとしたそのとき、茂信は目を開いた。
「いいだろう。その娘、この箱舟にて預かろう」
茂信の出した答えに、桜がにやりと笑う。十兵衛は小さくガッツポーズを決めた。理仁はわずかに目を見開いた後、「ありがとう」と微笑む。
「武運を」
「いつでも連絡しろ」
「ああ」
茂信、聖と短いやりとりを交わして、理仁は桜と十兵衛を伴いテントから出て行く。
聖は煙草の灰を携帯灰皿に押し付けて、「さて」と立ち上がり腰を伸ばした。
「今回は、俺の出番ですかねぇ」
「そうねぇ」
友恵が静かに微笑む。
茂信は険しい表情を浮かべたままだった。
二〇一四年三月二十七日の夜の出来事だった。
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とぼとぼと歩くアンジュを、研究員達は珍しいものを見たといった風に振り返る。ある女性研究員は「どうしたの?」と声をかけるが、アンジュは力なく首を振るだけだった。
アンジュの髪飾りは、期待してはいなかったがやはり、警備室にも届いていなかった。
「やっぱりサーカスで落としたのかなぁ……」
しかし、本当はこの研究所から出てはならない身の自分が、サーカスのテントまで探しに行くことなどできるはずもないし、代わりにミーナに探しに行かせることも彼女の多忙さを考えれば難しいだろう。諦めるしかなかった。
「でも、やっぱり探しに行きたいし……」
「もしかして、髪飾りのこと?」
「うん。大事なものだから、やっぱり探しに行かなきゃ…… ってうひゃあっ!?」
アンジュはその場から飛び退る。
後ろにいたのは、黒髪に紅色の瞳の、精悍な顔つきの女性。白いシャツの上に白衣を着て、黒ぶちの眼鏡をかけ、首から「補助員 SAKURA KARASUMA」と書かれたネームプレートを下げている。
アンジュは思わず叫んだ。
「ピーター!!」
「烏丸桜よ。アンジュちゃん」
桜はネームプレートを見せびらかしながら微笑む。
そして胸ポケットから銀色のなにかを取り出して、アンジュに差し出す。
「お探し物はこれ?」
「え……?」
アンジュは驚いてそれを見つめる。
それは間違いなく、なくしたと思っていた髪飾りだった。
アンジュはそれをひったくるように手に取った。
「これ! どこにあったの!?」
「アタシ達が会った路地裏に落ちてたの。大事な物だったみたいね」
「うん! ありがとう、ピーター!」
桜は「いや、だから烏丸……」と複雑な表情を浮かべていたが、アンジュが喜んでいるらしいのであまり大きな声では訂正しなかった。
アンジュが髪飾りを大切そうに胸に押し付けているのを見て、桜も微笑む。しかし、桜の仕事は髪飾りを届けることだけではなかった。
「アンジュちゃん、ちょっとアタシとお喋りして欲しいんだけど、時間ある?」
「え? うん、今日は検査もなにもないから、一日暇だよ!」
アンジュはにこりと人懐っこい笑顔を向ける。
桜は満足そうに微笑んで、「じゃあ、どこかでお茶でもしながらお喋りしましょ。カフェテリアがいい? あ、もちろん奢るわよ?」とアンジュの横に立って肩に手を回す。
アンジュは頷き、「ねえ、パフェ食べてもいい?」などと暢気におねだりする。
桜はアンジュをエスコートしながら、カフェテリアへ入った。
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『あのね、アタシは今、この研究所で補助員のアルバイトってことで働くことになったんだけど』
くぐもった桜の声が理仁達のいるテントに響く。端末からは、桜が身に着けている盗聴器から飛ばされた、桜とアンジュの会話が届く。それを、理仁と十兵衛が静かに確認していた。
『いまいちこの研究所がわかんないのよね。アンジュちゃん、なにか知ってる? どんなことを研究してる、とか』
『ピーターはいろんなお仕事をするのね? ここは人工知能を研究してる研究所だよ』
まだ幼い少女の声が響く。
理仁の隣で、十兵衛が囁く。
「魔王様、資料によればアンジュさんの言う通り、アニル・アルシャド研究所は、表向きは人工知能の開発を専門に行っているようです」
「……桜、彼女がなんのためにここにいるのか、聞き出してくれ」
理仁は端末に向かって指示を飛ばす。指示を受けた桜は、アンジュに訊ねる。
『アンジュちゃんはどうしてここにいるの?』
アンジュは「んー」としばらく悩んだ様子で口を閉ざす。
聞くべきではなかったか、と理仁が険しい表情を浮かべたが、アンジュは気にした様子もなく答える。
『なんて言っていいのかわからないんだけど、わたしは珍しいタイプの異能者だから、人工知能の研究のためにここにいるの。週に一度くらい試験を受けるだけなんだけど』
理仁はほっと息を吐く。単純にアンジュもなにを言えばいいのかわからなかっただけらしい。しかしそれは、彼女がまだ、〈前の自分〉のことを思い出していないことを意味する。
桜が続ける。
『珍しいタイプの異能って?』
『わたしはね、霊子にSn細胞が拡散してるタイプの異能者なんだって、研究所のおじさんが言ってた』
『それは…… 確かに聞いたことないわね』
『そうでしょ? でもね、そのせいで人混みとかに出ちゃ行けないって言われてて、小さい頃からずっと研究所で暮らしてるの。四歳の四月にここに引き取られたらしいから、もう十年くらいかな。他人の魂に触れると、霊子が不安定になってSn細胞が影響を受けるんだって。わたし、よくわかんないんだけど』
『アタシも専門じゃないから、よくわかんないわねー。……それより、アンジュちゃん、日本語上手ね。どこで覚えたの?』
『昔、日本から来た研究員さんがいてね、教えてもらったの。懐かしいな、その人は二年前に母国に帰っちゃったけど。日本語、結構上手でしょ?』
『上手、上手。ビックリしちゃった』
桜がおだてると、アンジュは『ふふん』と自慢げに鼻を鳴らす。
理仁がもう一度、桜に指示を出す。
「あの女性…… 路地裏で一緒にいた女性についても聞き出せるか?」
『アンジュちゃんが一緒にいた女の人、ここの研究員かなにか?』
桜が軽い口調で訊ねる。
アンジュは『うん!』と頷く。
『ミーナね? ミーナはここの研究員。若いのに優秀だって言われてるの。わたしの一番のお友達でね、本当はダメなんだけど、たまに外に連れて行ってくれるの』
『いいお友達ね』
『うん!』
アンジュが大きく頷くのが、盗聴器越しにもわかった。
理仁が時間を気にしつつ、最後の指示を出す。
「これで最後だ。……アンジュ自身に、なにか違和感を感じないか、訊ねてくれ」
『……ところでアンジュちゃん、最近なにか気になることとかかない?』
唐突な質問に違和感がまとわりつくことは否めないが、桜は慎重に、不自然さを感じさせないように、言葉を選んで訊ねる。
アンジュは『うーん……』としばらく悩むようにうなった。
『気になることっていうか、最近多いなってことなんだけど……』
『なにかあるんだ?』
『うん。あのね、もともと幽体離脱ってたまにあったんだけど、最近多い気がするの。前はそんなに起こらなかったんだけど、最近はほぼ毎日あるの』
『幽体離脱?』
『うん。気がついたら意識が別のところにあるの。自分の後ろ姿が見えたりしたときは、たいてい幽体離脱してるとき。今度、検査のおじさんに言ってみようかな』
『……それがいいと思うわ』
理仁は、これくらいが限界だろうと桜に撤退を命じる。
桜は『さて』と立ち上がる。アンジュも椅子を引いて立ち上がった。
『じゃあ、アタシはこれで。また会いましょ』
『うん! あ、パフェご馳走さまでした!』
『いーの、いーの。じゃ、またねー』
アンジュが元気よく挨拶して、走り去って行く。
しばらくして、桜が盗聴器に向かってそっと訊ねる。
『どう? なにか手掛かりはあった?』
「ああ、助かった。また潜入の際は頼む。今度はミーナという女性の話を聞いてみたい」
『了解』
桜が短く返し、盗聴器をポケットに押し込むようなくぐもった音がした。
十兵衛が端末を操作しながら、理仁に囁く。
「ミーナさんは六年前にこの研究所に研究員として採用されて以来、表向きはプログラムの解析に携わっているようです」
「そうか。……アンジュ自身は、まだ思い出していないらしいな」
「そうですね。……思い出さない方が幸せってこともあると思いますけど」
「ああ。しかし、いずれは向き合わなければならない事実だ」
十兵衛が唇を噛み締める。「でも、こんなの悲しすぎますよ……」
理仁は、静かに息を吐いただけだった。
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ミーナはぐったりと肩を落とし、研究所のエントランスを抜けた。
前方を歩くアニルも疲れたようにネクタイを緩める。
「まったく、どうしてお偉い方々というのはああも話が通じないんでしょうね……」
「申し訳ありません、所長。私の解析が進まないばかりに……」
「いいえ、貴女のせいではありません。相手はプログラムのPの字も学んだことのない素人です、貴女のペースで進めてください」
アニルはそう言い残してさっさと自分の研究スペースに戻って行く。
ミーナも自分の居城である日影部屋に重い足を運ぶ。今日はこのまま帰ってしまいたかったが、時間が残されていない。もう少しだけでも解析を進めてから帰ろうと、ドアを開く。
「あ、ミーナ!」
扉を開くと、喜色満面のアンジュが椅子に腰掛けていた。
ミーナはほっと息を吐く。髪飾りをなくして元気を失っていたようだったが、元の活発なアンジュに戻っていた。
アンジュは椅子から飛び降りて、ミーナの顔の前に銀色のなにかを突きつける。「見て! 髪飾り、見つかったの!」
ミーナは首を傾げて、「あら、じゃあ外で落としたんじゃなかったのね?」と訊ねた。それに対して、アンジュは首を振る。
「ううん。外で落としたのを、ピーターが拾って、届けてくれたの!」
「……なんですって?」
ミーナの声のトーンが一つ下がる。
アンジュは興奮しているのか、ミーナの変化に気づかず喋り続ける。
「さっきね、ピーターが研究所で話しかけてくれてね、これを返してくれたの! あと、少しお喋りもしたよ!」
「……そう」
ミーナは努めて冷静にデスクの前に移動し、パソコンの電源を入れる。
しばし思案に暮れていたミーナであったが、アンジュがニコニコと嬉しそうに笑っているのを見て、声をかける。
「髪飾り、見つかって、嬉しい?」
「うん! もうなくさない!」
アンジュが頷く。
ミーナもつられて小さく笑った後、「今度、あたしにもピーターと会わせてよ」と、さりげなく約束を取り付けておく。
アンジュは二つ返事でそれを受け入れ、「みんなでお喋りしたら楽しいだろうなー!」などと暢気にのたまっていた。