第11話 アルシャド

 ねえ、貴方にはわかる?
 鬱血したせいで顔が青黒くなって、生きていた頃の面影なんてなくなってしまった肉塊を「お父さん」と呼んで、冥土へ送り出す娘の気持ちが。

 あまり器用な父親ではなかった。
 与えられた仕事はそつなくこなすのに、人間関係になると途端にダメ人間になってしまうのは、成長した娘と同じで。きっと父親からの遺伝なのだろう。
 喧嘩もしょっちゅうしたし、仕事で放っておかれることもしばしばだった。機嫌を損ねた娘を持て余して、考えた末に安っぽいファミレスで、食べきれないほどのパフェやパンケーキを注文して押し付けるといった、頭の悪いご機嫌取りをする父親だった。
 仕事をしながら男手一人で育ててくれた、娘にとっては自慢の父親だった。

 ……あの日、『行っちゃ嫌だ』と愚図ったら、父親は死なずに済んだのだろうか。
 仕事では組織の所長まで務めた男の葬式にしては、参列した人間は少なかった。
 当たり前だ。父親は「犯罪者」として死んだのだから。

 ――私は知っている。お前が父を陥れたことを。

 神妙な顔をして棺桶に紙幣を捧げる胡散臭い男を、娘はじっと見て、脳の一番深い部分に焼き付けた。いつか、復讐を果たすために。
 悲痛な面持ちを器用に作って、家族に長ったらしい挨拶をするアニルを、八歳のミーナはじっと見つめていた。

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 アニル・アルシャド研究所の地下には、滅多に使われないが、品評会などを行うための大ホールがある。
 このホールが使われるのは、実のところ裏稼業者の集まりのためだ。
 この研究所は、表向きの公益目的の研究とは別に、裏稼業の人間に売りつけるための商品の研究もしている。そんな研究に、研究所の裏の顔を知っている者、いない者、どちらも同じくらいの割合から構成されるある財団が、運営資金を支払っている。ミーナは「世も末だな」と思いつつスーツ姿の客人たちを他人事のように眺めていた。

 開演まであと十分といったところだろうか。黒塗りの自動車が研究所の前に停まったのを見つけると、ミーナの横にいたアニルは口角を上げてその自動車に近づいた。
 運転手が後部座席のドアを開ける。
 すっと降りてきたのは、仮面をつけているので正確にはわからないが、おそらくはまだ青年とも呼べるほど若い男。
「お待ちしておりました、№1」
 慇懃に挨拶をするアニルを、ミーナは置いてけぼりをくらったままぼうっと見ていた。
 №1と呼ばれた男は、仮面越しににっこりと人の良さそうな笑顔を向ける。
「こんばんは、アニル先生。本日の品評会、楽しみにしていましたよ」
「こう言うのもなんですが、我が研究所が誇る時代の寵児が、六年の歳月をかけて作り上げた作品です。きっとお眼鏡に叶いますよ」
「ほう、それは興味深いですね」
 アニルがミーナの方を振り向く。おそらく挨拶に来いということだろうと判断し、のろのろとアニルのもとに向かう。
「№1。その天才というのが彼女です。ミーナ・ジュレといいます。ミーナさん、ご挨拶を」
「……お初にお目にかかります、№1」
 ミーナ自身そっけない挨拶だと自覚しながら、小さく頭を下げた。
 横目でアニルの笑顔がピクリと固まるのを見て取る。おそらくもっと愛想よくしろということだろうと察しはするが、そんな気分ではないし、アニルのためにそこまでしてやる義理もさらさらない。
 一方の№1は気にした風でもなく、微笑みながらミーナを見た。
「ほう、お若いにもかかわらずアニル氏をして天才と言わしめるとは。品評会がますます楽しみになってきましたよ」
「若いのに可愛げがなくて失礼いたしました、№1」
「いえいえ、天才とは往往にして他人に媚びないものですよ」
 無理矢理割り込んだアニルによってミーナは彼の後ろに押し下げられ、上司と客人との他愛ない会話を聞くともなしに聞いていた。
 ふと、ミーナの興味が、上司たちの会話から、№1の後ろにすっと位置取った、白いパンツドレスの少女に向いた。こちらも仮面で顔を隠しているが、身体つきからまだ少女と言っていい年頃だとミーナにもわかった。
 体裁は研究所の発表会だが、実際は世界各国で悪行をはたらく裏稼業者の集まりだ。そのようなところへこんな少女を、とミーナが苦々しく思ったところで、№1の周りには他に護衛らしい人間がいないことに気づく。
(……まさか、この子が……?)
 不意に、少女の目がミーナに向けられる。ミーナは表情を硬くした。
 彼女の右目が、月色に輝いたように見えた。
 少女はしばらくミーナを見つめていたが、すぐに興味を失ったかのように視線を外す。
「№1、お時間が」
「ああ、そうだね、千里眼(クレアヴォイアンス)。それではアニル先生、また後ほど」
 アニルが深々と礼をして、手近な所員に「ご案内を」と命じる。
 所員は緊張したような面持ちで№1と近侍らしき少女を会場へと案内する。
 それを見送ってから、アニルはふうとため息を漏らした。
「ミーナさん、もう少し愛想よく振舞えませんか? 大事なお客様なのですよ?」
「申し訳ありません」
「……まあいいでしょう、行きますよ。貴女にも開発者としてステージに立っていただくのですから」
 はい、と返事をして、ずかずかと舞台裏への通路へと向かうアニルの三歩後ろに続く。
 アニルが口元の右側を釣り上げているのに、後ろにいたミーナは気づかなかった。

 二〇一四年三月三一日、午後六時のことだった。

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 同時刻、あるプログラムが行政機関のネットワークに潜り込んでいた。
 それらは増殖し続けながら、主が号令を出すまで、情報の網目に根を伸ばし、根に引っかかったファイルを一つ一つ吟味していく。
『アノ情報ハ、ドコ?』
『コッチノハ、関係ナイ』
『アルシャド、ドコニイルノ?』
『アルシャドヲ、探セ』
『アルシャドヲ、救エ』
『アルシャドヲ、返セ』
『アルシャド』
『アルシャド』
『アルシャド』
『アルシャド』
『アルシャド』

『……パパ、ドコニイルノ?』

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「失礼、ミスター。招待状を確認させてください」
 受付の女性に声をかけられた理仁は内心でドキリとしながら、それを表に出すことはなく、白いカードを差し出す。
 女性はそれを丁寧に確認してから、「失礼いたしました。どうぞ」と会場の方を手で指し示す。
 理仁は緊張感を持ったまま、少年を引き連れてそこに足を踏み入れた。
「……魔王様、ただの学者の集まりではありませんね」
 十兵衛が理仁の背中に近づいて、声をひそめ囁く。
 理仁は小さく頷いた。
「聖の言っていた通り、武器売買が主な目的だろう。邪悪な念が渦巻いている……」
 理仁は眉を顰めた。昔を思い出していた。

 古い記憶は、まだ人間だった頃のこと。
 いくつもの兵器を手渡され、それを使って当然のように人を殺めた。

 それよりも少し新しい記憶は、もう人間とは言えなくなった自分が、武器として戦っていた頃のこと。
 人間であることを諦めて、武器になることに逃げた、ほんの数年前の自分。

「……魔王様?」
 十兵衛の声に、はっと我に返る。いつの間にか歩くスピードが落ちていた。不自然にならないように、そっと元の速さを取り戻す。
「すまない、少し考え事をしていた」
 後ろの十兵衛に詫びる。十兵衛はなにか言いたそうな顔をしていたが、結局なにも言わなかった。
 係員に導かれるままに、示された席に座る。
「アネキ、うまくいきますかね?」十兵衛が声をひそめて言う。
 理仁は当然のことのように答えた。
「桜のことは心配しなくていい。彼女はノアの箱舟一の戦士だ」
「それはわかってるんですけど、どっちかというと…… やりすぎちゃわないかが不安ですね……」
 そう呟くように言われて、理仁もそっと目を閉じて考える。
「……まあ、今回はストッパーも付いているし、大丈夫だろう。なにより、あの任務に彼女ほどの適役はいない」
「……そうですね」
 そう言って、どちらからともなく溜め息が漏れる。
 
 穏便に済ませたい気持ちは、漂流を続ける箱舟の仲間たちが共通して抱いている。
 ただし残念なことに、その願いが叶ったことは一度としてない。
 彼らは嵐とともにあり、嵐の中でしか生きていけないのだから。

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