第14話 カンパイ

 これで自分の脅威となる者はいなくなった。
 これからは自分の思い通りになる、そう思っていた。
 遺族の方を振り返り、自分を睨みつける、あの娘を見つけるまでは。

 元同僚と同じ黒い癖っ毛に、よく似た目元。
 その目が自分を射殺さんばかりに睨めつけていた。

 娘がいるとは聞いていたが、会ったのはこれが初めてだった。
 会った、というのは語弊があるかもしれない。その時は会話らしい会話も交わさなかったのだから。

「この度は急なことで、何と申し上げればよいか……」
 睫毛を伏せて、胸に手を当てる。悲しげな外観を作ることなど容易い。遺族に近づき、同じ悲しみを共有しているかのように振る舞う。
 娘の視線が突き刺さる。ああ、この娘は賢しい。自分の演技を見破っている。しかし、だからどうというわけでもない。同僚は死んだ。自分は奴の上をいったのだ。その娘が自分に刃向かうことになったとしても、また――父親と同じように――ねじ伏せてみせる。
 娘は祖母とともにその場を離れた。自分も一礼して、挨拶しようと待っている参列者に場を譲り、古い友人たちが集まっているところに加わる。
「なあ、アルシャドにもまだ小さい娘さんがいるじゃないか。名前はなんというんだ?」
 なにかの会話のはずみにそっと訊ねる。
 その男は、んー、と少し考えて答えた。
「ああ、思い出した。ミーナちゃんだ。とても賢いと、アルシャドが自慢していたよ」
 そうか、と、アニルは喉を鳴らした。

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「お帰りなさいませ、№1」
 №1が席に戻ると、風音が立ち上がって出迎えた。
 ただいま、と微笑んでその隣に着席する。
「どう思いましたか、風音? あのアニルの自信たっぷりな様子。私は笑いをこらえるのに精一杯でしたよ」
「一般人にはノアの箱舟の存在すら知られていないのですから、致し方ないかと。それに、ミーナとの戦いにおいては、彼の勝利はすでに確定しています」
 風音は思った通りを正直に答えた。№1は「ふうん」と笑う。
 №1とは違い、風音は他人の愚行を素直に笑うのは苦手だった。自分も誰かに笑われているのではないかと、つい周りを見てしまうのだ。まして、こうやって演芸でも見ているかのように他人を笑う男に育てられたのである。注意深くなるのは必然だったと言っていいだろう。
「風音は優しいですね。あんな男の事情でも汲んでやるのですから」
「誰もが貴方のようにいつでも賢い選択をできるとは限りませんよ、№1。私は…… あまり、賢い人間ではありませんから」
「そんなことはありませんよ、風音はいい子です」
 いい子、というのはどういう意味だろう、と風音はぼんやり考えようとしてやめた。
 №1はまだ小さく笑っている。
「それに、人を笑うには実際に賢くなくてもいいのですよ。アニルのような愚か者でも、ああやってミーナを笑っているのですから。要は自分が上か下かを評価した結果でしょう? その評価を誤って笑っている人間は、確かに滑稽ですが」
 その発言もどうかと思ったが、風音は「そうですね」とだけ返す。
 自分が他人より上か下かを評価する。気分のいい話だとはとても言えない。
「さて、そろそろミーナとアニルの一騎打ちですかね?」
 ステージ上のスクリーンを踊る『人工知能搭載型ウィルス』の文字を見とめて、№1は座席に深く腰掛け直す。
 風音もすっとステージに目を向けた。
 そこにいるのは時代の寵児と、その上司。
 ミーナがマイクを手に取った。

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 聖は目的の部屋に到着すると、デスク周辺にラップトップをいくつも並べて、それらをケーブルでつなぐ。
 もともと部屋にあったパソコンにUSBメモリを挿して、準備が整うまでの空いた時間に、十兵衛の端末に『無事潜入完了』とメールを送る。
 しばし待ったのちに画面に現れるのは『Error』の文字。
「そりゃ、セキュリティくらい設定してますよね……っと」
 パキポキと指を鳴らしてからその画面をじっと見つめること数分。聖の骨ばった細い指がキーボードを叩きつけるように踊る。
 そして画面が切り替わり、『Welcome』と聖を出迎える。
 聖は満足げに鼻を鳴らした。
「しかし、ジジイや友恵さんも人使い荒いが、魔王陛下(理仁)も大概だな……」
 ぼやきつつも、ウィンドウがいくつも開いていく中、そのうちの一つを選んでさっと確認する。
「よっし、『ANJU』はこれだな」
 それをよく見ようとしたとき、ふと、別の画面が視界の端でちらつく。
「こっちは……『DIL(心)』?」
 他のことを気にしている場合ではないと思いつつ、好奇心からその内容を確認する。
 しかし、その内容のほとんどが『ANJU』と同じだとすぐに気づく。肩透かしを食らった気分でそっとウィンドウを仕舞おうとしたとき、はっと気づく。
「いやいや、『ANJU』があるならこんなもん要らねーだろ。なんだこれは?」
 ウィンドウを二つ並べて、『ANJU』と『DIL』を比較する。
 そしてすぐに気づく。『ANJU』の方が無駄な記述が多い。より正確に言えば、なにかの核にゴテゴテと装飾を施して、核を一見してわからないようにしている。
 対する『DIL』は、装飾が少なく核がはっきりしている。これらを一見して同じ内容だと思い込んでしまったのは、目的を方向付けるシステムの枠組みが同じだったから。
 だが、問題となるのはその核の部分。
 核の部分は、『ANJU』と『DIL』で少し異なる。『ANJU』にある穴が、『DIL』にはない。
「……『ANJU』の穴を塞ぐのをやめて、新しい『DIL』の製作に切り替えたって感じだな」
 そのとき、視界の端のラップトップの画面が赤く光る。
「なんだよ、この忙しいときに……!」
 振り返ると、そこに写っていたのは『Intruder』の文字。
「侵入者……?」
 とりあえずふたつのウィンドウを画面の隅に追いやって、震える指でセキュリティを確認する。
 ――あった。
「バックドア……!」
 己の不注意に若干苛立ちながらデスクを殴りつける。
 ドアを取り付けたのが誰なのかを確認するために、鍵のかかったそのドアを力づくで捩じ開ける。
 意外にも簡単に開いたそのドアの向こうには、几帳面に整えられた、白い無機質な空間が広がっていた。空間の主の名前を確認する。
「『ANIL』……!」
 別のラップトップを引き寄せて、会場に潜入している理仁と十兵衛にメッセージを綴る。
「やべぇぞ、ミーナも相当だがアニルは段違い(ダンチ)だ……!」

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 次のステージ紹介のアナウンスに、騒めいていた会場が一気に静かになる。
 ふうと一つ息を吐き呼吸を整えて、ミーナは前を向いた。
「今回発表させていただきますのは、人工知能搭載型コンピュータウィルス、『ANJU』です」
 大丈夫、声は落ち着いている。ミーナは自分にそう言い聞かせる。
 誰にも気づかれていない。ここまで順調だった。あと一息だ。
「従来の狭義のコンピュータウィルスは、動的活動をせず、非自律的でした。また、脅威として認識されると駆除あるいは離隔されるという点で、硬質的なところがあったと考えています。ウィルスプログラムを更新すればよいとお考えの方もいらっしゃるでしょうが、いたちごっこで非効率的です。
『ANJU』はこの点を改善するため、ウィルスプログラムに人工知能を搭載しました。すなわち、自身を駆除あるいは離隔しようとするワクチンソフトウェアに対応して、あるいは、自身のプログラムが対応していないタイプのコンピュータにも対応して、自身のデータを書き換えることを可能としました。これにより、わざわざウィルスプログラムを記述し直さずとも、また、どのようなワクチンソフトウェアを完備した機関に対しても、サイバー攻撃をすることが可能となります」
 ここまで淡々と述べて、手元のパソコンを操作する。
 ステージが暗くなり、スクリーンに市内の警察署の写真が映し出される。
「さて、ここではデモンストレーションとして、十六年前に起きたとある事件について、警察が隠したその実態を暴露したいと思います」
 ここへきて、裏方が慌て始めるのがステージ上のミーナにも伝わる。
 しかしそれに構わず、ミーナは周到に用意してきたデータをスクリーン上に映し出す。
「一九九七年七月、一人の男が死にました。このアニル・アルシャド研究所の一室で、首を吊って自殺しました。彼はパソコン上に遺書を残していました。『罪を贖うため命を絶つ。』と。その罪とは、警察が捜査した結果、あるウィルスを製作していたことであると判明しました。ウィルスは警察に回収され、事件は犯人死亡のためそれ以上捜査はなされませんでした。
 ……ここまでは新聞の一角に載っていた小さな事件です。この男の死を密かに笑っているもう一人の男Aがいました。Aは男の同僚でした。共に研究所を設立した同志でした。しかし、あるプログラムの開発についての意見の不一致から、Aは男を疎ましく思うようになりました。そこでAは、警察に虚偽の罪状を上申し、連日の取り調べで疲弊した男を死に追いやり、Aが独自に開発していたウィルスを男が開発していたプログラムとすり替え、情を知った警察官に賄賂とともにウィルスを引き渡し、こうして邪魔者がいなくなった研究所でのうのうと長の座に居座り続けました。そう、男はAに殺されたのです」
 スクリーンには男の取り調べ調書やAの名前が記された上申書、Aの名前で多額の記載がされた約束手形、遺体の首周りのロープ痕と現場で発見されたロープの模様の不一致を示す捜査報告書、連日長時間の取調べを記録した供述調書などが次々と現れた。
 カーテンの裏から所員が飛び出してくる。その前にミーナは最後の一手を指した。
 警察官に封筒を手渡すAの写真が、スクリーン上に現れる。
「その男は、今もこのアニル・アルシャド研究所長の座に居座っています。この品評会の主催者、アニルに、無実のアルシャドは殺されたのです」
 そこで笑っていたのは、紛れもなく、銀の細いフレームのメガネをかけた、几帳面そうな、若き日のアニルだった。

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 しん、と静まり返った会場で、どこからかパチパチという拍手が響く。
 ミーナが睨みつけた先には、胡散臭い笑顔を浮かべる上司の姿があった。
「ミーナさん、流石です。よくここまでのプログラムを開発しました。これでも頭をひねって念入りに、手垢も残さぬように動いたのですが、それでも十年以上前の捜査についてここまでの資料を集めることができたのは偉大です」
 対応に戸惑う所員たちを右手を振って下がらせ、アニルはステージ上に姿を見せる。
 余裕綽々といったその様子に、ミーナの背中に嫌な汗が流れる。
 どうして、どうして余裕で居られる?
 自分の罪を暴露された人間が!
「どうして、という顔をしていますね? ミーナさん、簡単なことですよ。貴女の反逆は十六年前から予想済みでした。ですから今日の出来事も、いずれは起こりうると思っていました。いいえ、むしろ、待ち望んですらいましたよ。待ちくたびれました」
 アニルは肩をすくめる。
「しかし、嘘はいけませんよ。ミーナさん」
「嘘?」
 ミーナが繰り返す。ミーナの頭の片隅で警鐘が鳴り響いていた。
 そこでアニルはミーナから客席へと視線を移し、朗々と響く声を放つ。
「皆様、彼女は重要なことを偽っています。彼女が開発したこのウィルスの名は『ANJU』ではなく『DIL』です。発注希望書にはくれぐれもお間違いなく『DIL』とお書きくださいませ」
 この場にふさわしくないジョークを織り交ぜて、アニルは一人楽しそうに笑う。
 ミーナは目を見開いた。
「どうして、『DIL』を……」
「ご自分のパソコンのセキュリティくらい調べておくべきだということですよ、ミーナさん? 貴女のパソコンにはバックドアを仕掛けておきました。貴女が『ANJU』の他に並行して開発していた『DIL』の情報は筒抜けだったというわけです」
 脚の力が抜けたミーナが、その場にへたりと座り込む。
 アニルは機嫌良さげに続ける。
「さて、どうして彼女が十六年も昔に警察によって握りつぶされたつまらない事件にこだわったのか。それは、彼女の生い立ちを紐解いていけばわかることです」
 アニルは所員にサインを送って、スクリーンの画像を切り替えさせる。
 そこに写っていたのは、おそらく父娘と思われる二人の写真。黒い癖っ毛に太いフレームの眼鏡の男と、同じく癖っ毛で、理知的な目元が男と似ている小さな女の子。
「十六年前の事件で自殺したアルシャドには、一人娘がおりました。アルシャド死亡時、わずか八歳。しかし、私は彼女の目を見てわかりました。『彼女は必ず復讐に現れる』と。
 そうして十年後、十八になった彼女は申し分ない才能を抱えた研究者として私の前に現れました。父・アルシャドが残したプログラムを一部改変し、大学の研究室で偶然発見したウィルスだと見せ、自らを売り込んできました。その出来に私は直感しました、彼女ならば、父親が完成できなかったプログラムを完成させてくれると。
 そして今、六年経ちました。彼女は父親が完成できなかったプログラムを捨て、新しく一からプログラムを作り上げました。それは私にも予見できなかったことです。しかし、その判断は間違っていなかった。私が十六年かけても完成しなかったアルシャドの遺品は、その娘・ミーナの手によって新しく作り直され、今、ここに完成したのですから!」
 スクリーン上の画像は次々と入れ替わる。ミーナが消した十六年分のデータが、当たり前のように現れては消える。
「消した、はずよ…… 貴方に取り入るために、すべて……」
 ミーナがスクリーンを見つめて呆然と呟く。
 アニルは笑った。
「そう、消した。貴女は人生の半分以上を消し去って私の前に現れた。しかし、堅牢なファイヤーウォールに守られた行政機関のネットワークに入り込み、貴女が念入りに消去した情報すらも、『DIL』は収集し修復する。これは貴女の修了証明書、あちらは幼少時に受けたSn細胞検査証明書、貴女とアルシャドの親子関係を証明する証書もありますよ。ご自分の発明に驚かれましたか?」
 アニルは不愉快な高い声を上げて笑った。

 ここに、勝敗が決した。
 人生の半分以上を復讐に費やしたミーナの、あまりにもあっけない、完全敗北だった。

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