第23話 ケッサク

 強力な異能を操作でき、かつ、不老不死の性質を有する、特殊な異能者たちが存在する。

 彼らは学術上〈結晶型〉能力者と分類されている。
 異能者を異能者たらしめる特殊な細胞・Sn細胞が〈結晶化〉し、それが彼らに強力な異能と不老不死の身体をもたらしていると説明される。
 異能犯罪者対策局・SLW創設に貢献した一人の女性研究者は、結晶化についてこう論じた。

『結晶化はSn細胞の自己保存のために起こる現象である。
 Sn細胞が結晶化する目的は、主である人間が危機に陥った際にその肉体を復活させることによる自己保存。復活した肉体は、Sn細胞にとっては自己保存のための道具となり下がる。
 すなわち、結晶型能力者の最終形態は、結晶化したSn細胞が永遠に存続するための道具、つまり、不老不死者である』

 その研究者によれば、異能者の肉体を破壊するような外的ストレスが加わり生命の危機に瀕したとして、その場合に結晶化が起こる確率は二パーセント。
 二パーセントと表現すると、確かに珍しいがそこまで特殊な存在には思わないかもしれない。しかし、そもそも異能者の絶対数が現在の統計上『世界人口の一パーセントに満たない』と推定されている中で、彼らのSn細胞が結晶化するのは『生命の危機』といえるほどの肉体の損傷を受けた場合である。生命の危機に瀕するような重大な危険が発生したとして、そこに異能者が存在する確率はどれほどのものであろうか。つまり、実質的に検討すると、この世界に新たに結晶型能力者が生まれる可能性は極めて低い。
 そして、結晶型能力者は現に発見されていない。その存在は理論上の仮説であると認識されている。――表向きは。

 SLWには、各国捜査隊の隊長格以上のメンバーと一部の研究員にしか知らされていない極秘事項がある。

『結晶型能力者は実在する』

 SLWが確認した結晶型能力者は、二〇一四年三月時点で、三名。
 一人目は〈白銀の脳細胞〉。脳全体が結晶化した『全知全能』の能力者。
 二人目は〈碧の瞳〉。眼球が結晶化した『視界操作』『特殊視覚』の能力者。
 三人目は〈緋の心臓〉。心臓が結晶化した『魔法創造』の能力者。
 いずれも先の大戦の記録の中で『常人ならざる者』として、わずかではあるが触れられている。前述の女性研究者の仮説が定立されたのも、このような記録が発見されたことが発端であった。
 しかし、彼らの存在は公にはされなかった。戦時下の記録のうち結晶型能力者に関するものは閲覧を禁止され、なかったものとして扱われている。〈碧の瞳〉と〈緋の心臓〉は、どれほど苛酷な戦場においても斃れることなく一騎当千の力を発揮した。〈白銀の脳細胞〉は、ドイツ統領に賓客として招かれ、戦況を予言する怪僧として暗躍した。三名とも、扱い方によってはたった一人で戦況を一気に変えてしまう、生きる兵器なのである。特に〈白銀の脳細胞〉は総領の独裁を一層強化させたと考えられ、しかも、招喚される際に一切抵抗しなかった――できなかったのかもしれない――という。結晶型能力者の存在が公になれば、権力を欲する誰もが挙って彼らを手中に収めたいと望むであろう。彼らを巡って闘争が起こるかもしれないし、彼らが加担することで危険思想集団の台頭を招くことになるかもしれない。SLW上層部は結晶型能力者の実在を確認した直後、そのような事態を危惧し、彼らの存在を隠蔽することに決めた。
 そして、SLW本部長は各国支部長に通達を発した。
『支部長は、緊急事態などの例外を除き、原則として捜査隊隊長格以上の構成員にのみ、結晶型能力者の実在を教示すること』
『結晶型能力者を発見した際は、支部長は、捜査隊隊長格以上の構成員を派遣し、速やかに拘束したうえ、支部長の管理下に置くこと』
『前記「緊急事態などの例外」に当たるかは、「結晶型能力者を発見した際」のほかは、支部長が具体的事情を総合的に考慮して厳格に判断すること』

 さて、これらの通達が発せられたのは前述の通り治安維持が目的であったが、当の結晶型能力者たちにしてみれば、SLWに一方的に拘束され自由を剥奪されるという甚だ迷惑な話であった。
 三名はSLWから逃げ隠れることを選択した。〈白銀の脳細胞〉は個人的な伝を頼って地下に潜り、〈碧の瞳〉は巨大犯罪組織に参入した。

 そして、〈緋の心臓〉――四条理仁は、異能者集団・ノアの箱舟と行動を共にし、世界各国を移動し続けた。
 二〇一四年三月の終わり、インド裏社会に流れた一つの噂。
『正体不明の異能者集団がインドに渡った』とは、すなわち。
 ノアの箱舟と四条理仁が、電子の少女との約束を果たすために、かの地に上陸したことを示していた。

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 アニルの脳は情報を処理するために加熱していた。
 ――魔法を、立法する。
 ビッグ4を始め複数の異能犯罪者と取引を重ねてきたアニルにも、異能者の知識がないわけではないが、そんな能力は聞いたことがなかった。アニルがアルシャドの技術力を借りなければ実現できなかったC.C.による意識交換と同じことを、魔王陛下はふと思いついたままにポンと『立法』することでやってのけたというのである。気まぐれのように魔法を作って操る、彼は間違いなく「魔王陛下」だった。この男に敵う人間など存在するのか。背筋が凍るような思いがした。
 しかし、まだわからない。彼の『ネット人格』とやらはC.C.と完全に同じというわけではない。彼の太刀がアニルの領域で存在できることがそれを示している。それに、状況からしても不自然だった。たとえば、彼は『引き止め役をする』などとアンジュに語りながら、実際にはいつまでたってもアクションを起こしていない。
 アニルは揺さぶりをかけてみることにする。
「貴方はメールの運び手になるために『ネット人格』の能力を創ったと言いました。すると、ひとつ面白い仮説が生まれます。運び手になることを目的とした貴方は、ネットの海の一通行人にしかなりえないのではないか。つまり、新たに自己の領域を展開することは想定していなかったのではないかと考えられるのです」
 魔王陛下の形の良い眉がピクリと動いた。
(当たりか?)アニルは興奮してさらに言い募る。
「自己の領域を作成できない貴方は、当然自己の領域に相手を呼び込むこともできないはずです。そんな貴方に、果たしてアンジュさんをもとの部屋に帰らせる間の引き止め役が務まるでしょうか。私に斬りかかるというのであれば結構ですが、私は斬りつけられるその前に貴方を置いてここから移転し、アンジュさんのもとへ向かうことができるでしょう」
 アンジュが不安そうに魔王陛下を見上げる。
「魔王さま、やっぱり無理なの……?」
「諦めてはいけない、アンジュ」
 彼は落ち着いた、穏やかな調子で答えた。
 金色の瞳がアニルを見据える。
「確かに『ネット人格』は他人の領域間を移動するためだけのものだ。新たに自己の領域を作成することも、相手を呼び込むこともできない」
 自らの不利を認めた。しかし自棄になった風でもない。アニルは背中に冷たい汗が流れるような嫌な感覚を覚えた。

「だから、改正した」

 アニルの身体が、どこかへと引きずり込まれた。周囲の景色が一変する。
 ――一面の焼け野原に。
 アニルはすぐに状況を理解した。そして混乱した。
「領域に引き込まれた……?」彼にはできないはずだ。できないと言った。
 魔王陛下はほんのわずかにだが、口角を上げた、ような気がした。
「『改正・ネット人格』を施行した。立法者は法を改正できる、当然だろう?」
 魔王陛下が刃を構える。
「これで対等のステージに立ったな、アニル」
 地を蹴って迫り来る魔王に、アニルは戦慄した。

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「アンジュ、戻れ!」
 風景が一変したことに驚いて棒立ちになっていたアンジュは、理仁の叫びで我に返る。
 そうだ、戻らなくては。理仁が時間を稼いでいてくれる間に。
 強く願えば戻れると、理仁は言っていた。アンジュは目をきつく瞑って、あの部屋を願った。
(帰らなきゃ、帰して、わたしをあの部屋へ――!!)
 理仁たちの気配がどんどん遠くなり、ふわりと身体が浮くような感覚。
 その後、「とすん」と尻餅をついた。反射的に目を開けるとそこは、先ほどまでいたアンジュの部屋だった。
「できた……!」
 ほうっと、胸をなでおろしたあと、それどころではないと気づいて慌ててデスクに向かう。理仁の言っていた通り、デスクもフロッピーディスクも元あった通り、無事だった。
 アンジュはもう一度フロッピーに手を伸ばす。窓が現れ、先ほどと同じようにパスワードを要求する。
 アルシャドはアンジュを作ったが、アンジュが他人の手に渡り悪用されることを恐れた。だから、アンジュが悪事を働くことのできないように、わざと穴を作っておいた。それに気づかず、ミーナはアンジュに悪性(ウイルス)の一面を加えてしまった。だから、前回までのアンジュは機能不全を起こして自壊していった。
 でも、いつか、ミーナがアンジュを自分で制御できるようになったなら。
 そのときは、娘を信じて穴を埋めることにしよう。
 アルシャドはそう考えていた。しかし、アルシャドはミーナの成長を見届ける前にいなくなってしまった。
 アンジュは考える。キーワードは、きっとアルシャドの大切なもの。彼の愛したものなんてひとつしかない。

 010100(B)011100(l)010111(u)110100(e)
 100110(G)110100(e)111010(m)
 001011(!)
 0110(2)0110(4)1001(6)1011(7)

 Enterキーを押した瞬間、フロッピーディスクが弾け飛んで光の粒になった。
 それはアンジュに吸い込まれていって、胸の真ん中が熱くなった気がした。
 どこからか懐かしい声が聞こえる。

「愛する一人娘、青い宝石、ミーナ。
 小さな娘が可愛くて仕方がなかった。
 友達の少なかった娘を喜ばせようと、アンジュを作ることに決めた。
 時間をかけすぎて娘と遊ぶ時間が少なくなってしまって、反対に娘のご機嫌を損ねてしまったりして反省して。いざお披露目となると喜んでくれるか心配で、期待と不安がこんがらがった心地でアンジュを紹介した。すると娘は今まで見たことがないくらい喜んでくれて。娘の笑顔を見て、父はどれほど嬉しかったか。

 それから、アンジュへ。
 もしものことがあったら、ミーナをよろしく頼むよ。
 いや、いなくなるつもりなんてないけれど、万が一ということがあるから。
 私がいなくなっても、あなたはミーナのそばにいてくれるでしょう? あなたはずっと私の願いを忘れずにいてくれる存在だから。なのであなたにお願いします。
 私に似て人付き合いが苦手で、でも、私と違って、笑った顔は最高に可愛いんです。
 ……そして、あなた自身も、幸せになってください。
 あなたはミーナを笑わせてくれる、私の一番の傑作なんですから」

 あまりの親馬鹿っぷりに思わず微笑み、「大丈夫ですよ」、と。
 父のいるどこかへ、ちゃんと届くかはわからないけれど、きっと届くと信じて、アンジュは答えた。

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