第6話 再現

 SLWハイスクールには『異能実技』という科目がある。

 異能実技は異能に合わせた個別指導。生徒と類似した異能を持つ捜査隊員と二人一組になって、個々の異能の扱い方を学ぶ。

 同時刻に各々別の場所で行われるのだから、当然、他のクラスメートの実技指導を見ることはない。

 

 ……はずなのだが。

 

「せんせー、ちょっといい?」

『なんだ、マクレガー』

 エデンの教室は、スピーカーの他にはなにもない防音室。

 スピーカーの向こうから講師である男性捜査隊員が答えた。

 他の三面は防音壁になっているが、一面だけガラス張りになっている。その方向を指差して、エデンはこれでもかと不満を詰め込んだ抗議の声を上げる。

「なんでアイツ、あたしの実技見てんの?」

 指差したガラスの壁の向こうでは、目下最大の天敵である男子生徒が、これまた天敵の女性捜査隊員と並んで、観察するようにエデンを見ていた。

 男性講師はスピーカーの向こうで、カタカタと講義用の機材を操作しながら興味なさげに答える。

『恩田準一等からの依頼でな。彼は普通のやり方では指導しにくい特殊系の異能者らしい。講義の一環として、ああやって他の異能者の実技を見て回っているんだそうだ』

「どんな異能よ、それ」

『俺は知らん。まあ見られて減るもんでもないし、気にするな』

「気になるわよ! あたしの実技は見せ物じゃない!」

 金切り声を上げるが、男性講師は『はいはい』と取り合わないし、ガラスの壁の向こうではなにも聞こえない恩田美雪と佐倉亨がエデンの講義の開始を暢気に待っている。

『須藤隊長にも協力を要請されたし、断るわけにはいかないだろ。文句があるなら後で直談判してこい』

「ハァ⁉ 知ったこっちゃないわよそんな……」

『はい、じゃあ始めるぞー』

「聞きなさいよ!」

 エデンの叫びは黙殺され、部屋がしんと静まりかえる。

 このまま水族館の魚みたいに観察されるのは不愉快極まりなかったが、講義を拒否したところで彼らはまた来るのだろうし、その度にボイコットして不利益を被るのは成績を低く評価されるエデンだけである。

 半ばやけくそで耳を澄ますと、スピーカーから生じる微かな、ほんの微かな振動がエデンの鼓膜を震わせた。

 

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「マクレガーとはもう話をしたの?」

「んー、一応登下校は一緒なんですけど…… ちょっと毛嫌いされてるみたいであんまり口きいてもらえないんですよね……」

 本来なら各別の教室で行われる異能実技であるが、亨の場合、他のクラスメートの実技を見学するのが、担当講師・恩田美雪の選んだ講義の進め方だった。

 亨の異能は、現在のところ須藤たち上層部と恩田班のメンバー、加えて軽井沢での事件で亨の奪還に加わった数名の隊員にしか知らされていない。”他人の異能力を学習する”という特殊な異能は、亨の心臓にあるSn細胞の結晶からもたらされたもの。SLW本部は新しい結晶型異能者の実在を秘匿するよう日本支部に指示したため、結晶と一体となる異能力についても可能な限り隠すことを神崎支部長が決定した。

 そうすると困るのが、亨の異能実技の講師が、自然亨の異能力を知っている数名の隊員からしか選択できないことである。見たことも聞いたこともない異能力をどうやって発展させるのか、誰もが匙を投げた中で、唯一講師の任を引き受けてくれたのが、美雪だった。

『だって、やり甲斐がありそうだもの』

 講師任命のあと、『どうしてこんな面倒な役を』と訊ねる隼人に(亨は気にしないがよくよく考えると失礼な言ではある)、美雪は珍しく口角を上げて答えた。

『それに、班長として、ただでさえ不明な点が多い彼の能力を間近で観察しておくことは重要だわ』

『でもさ、マニュアルが通用しないのに、指導方法とか考えてんのか?』

『ええ。まずは、彼の”学習”方法を知ることから始めるつもりよ。最初の数ヶ月は私の方が彼に教えてもらうことになるでしょうね』

 宣言した通り、美雪は亨が”学習”したうちのたった一つの異能力、《ドッペルゲンガー》を繰り返し生み出す様子を、春から夏にかけて観察してきた。

 ───それはもう、亨が嫌になるくらいに延々と。

 何度繰り返しても、亨の分身はのっぺらぼうだったり、手足のバランスがおかしかったり、……いつまで経っても、正のような寸分違わぬ分身を作ることなどできなかった。

 当然である、亨の結晶はまだまだ成長していないのだから。

 美雪もそのことを知っているはずなのに、狭い教室で二ヶ月も同じことを繰り返し続ければ、亨だって嫌気がさしてくる。どんなに繰り返したところで、どんなに亨が頑張ったところで、すでに設定されている亨の異能の再現度は向上しない。

 だから、ある日の講義で、ちょっとふざけてみたのも、面と向かっては抗議できない美雪へのメッセージのつもりだったのだ。

『せーのっ!』

 ぽんっと間の抜けるような音とともに亨の目の前に出現したのは、本物の亨よりずっと小柄な、亨が七歳くらいのときの姿。ほっぺたがぷにぷにで、なかなか可愛いではないかと自画自賛する。

『トオル!』

 足を組んでパイプ椅子に座っていたはずの美雪が立ち上がり、カツカツとヒールを響かせて亨の目の前に駆けるように近づく。さすがに講義中に悪ふざけが過ぎたかと今さらびくびくしていたが、美雪は『その分身、見せてごらんなさい』と小柄な分身の前に跪いて、その頬に手を添える。

『今までの分身より格段に人体に近い…… 肉付きも造形も極めて精密に再現できているわ……』

 表情は険しかったが、声音はどこか明るい。

 首をかしげる亨に、美雪は、とても珍しいことだったが、小さく笑って見せた。

『トオル。貴方の異能は、再現の方法を工夫すれば、実戦でも通用しうる』

 

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 実技が始まったらしいと気づいて、亨とミユキは雑談をやめる。

 ガラスの壁の向こうには、金糸のようなふわふわの髪を、いつものツインテールではなく二つのお団子にまとめたエデン・マクレガー。

 エデンは目を閉じて、できる限り外界からの情報を遮断する。

 彼女の異能については、最初に学習した異能の一つ、須藤の《判別》の異能によって、亨も既に分析を開始している。他者の異能を読み解く須藤の異能は《学習》を進める上で有益だった。同じく最初に学習した風音の《千里眼》で相手の異能を読み取ることも不可能ではないが、異能の発現機序を分析するには客観的な現象を把握できる《判別》の方が適切である。

「マクレガーさんは感知系の異能者ですね。聴覚……、かな」

「正解よ。マクレガー三等はコウモリ並みの聴力の持ち主。これから行われる訓練は、より高い領域の超音波を聞き取らせようとするもの。今日は帰国直後だから肩慣らしみたいなものでしょうけど、普段は天井からいくつもの鈴を吊り下げて、糸に触れずに移動する反響定位の訓練も行っているわ」

「俺もそれくらいできるようになれますかね?」

「不可能ではないはずよ。ただ、マクレガーの異能を用いる必要性は、果たしてあるかしら? より直截的に視覚強化や体質変形を使用した方が合理的だわ」

 美雪の言には納得であった。音波だけに頼っていては音を反響しにくいものや、赤外線だとかに対応できないし、爆音轟く現場ではそもそもノイズで音が掻き消されて異能を使えないだろう。

 結局、万能の異能なんて存在しないらしい。

 異能者全員に得手不得手がある。それを補うため、SLW捜査隊では複数の異能者を集めた班ごとに行動する。

『でもさぁ、ひょっとしたらトオルって、万能の異能者になっちゃうかもしれないんだよね?』

 頭の中の少年が囁く。亨は曖昧に答えた。

(まあ、一人何役でもできるんだからなぁ)

『もし、もしもだよ? 結晶化が進んで、学習能力が向上して、どんな異能力も完璧に再現できるようになったらさ。トオルはどっか行く? 一人の方がいい?』

(「どっか」ってどこだよ…… 俺寂しがり屋だから一人にはならないだろうし、たぶん変わらないんじゃない? 相変わらずミユキ先輩とハヤト先輩の夫婦漫才を見ながら、小野さんのスパルタ塾で勉強して、山本とか村上とバカ話しながら飯食って、週末は家に帰る。……あ、鏑木さんたちともう少し仲良くなれたらいいなぁ)

『……そっか。安心した』

 一体なにを心配していたのか、亨には想像もつかなかったが、詮索するのはためらわれた。

 気を取り直して、ガラスの向こうのエデンを観察する。異能の発現機序は把握した。これを再現できるようになるまで考察するのが亨の課題。より実践的に、考察と再現に掛かる時間を短縮するためには、他の似た異能と比較検討するのがよい。今はそのために「数をこなす」時期だ。

 

 誰にも気づかれることはなかったが。

 《学習》の異能を与えられた少年は、こうして他者の異能を分析することに、喜びを抱き始めていた。

 

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 亨の異能に関する、美雪の仮説はこうである。

 

「結晶化の進行度と異能の再現可能性は、必ずしも比例しない」

 

 亨を誘拐した千里眼の少女とは異なる見解を、亨も、須藤も、すぐには受け入れられなかった。

『ですけど…… 風音さんは「結晶化が進んでいないから完璧には再現できていない」って、分析してましたよ……?』

 亨が恐々訊ねると、美雪は小首をかしげたあと、

『正確には、「結晶化が進んでいない。加えて、完璧には再現できていない」とすべきではないかしら』

 少しだけ解説を加えてくれた。

 どこを正確にしたのか、亨の耳では判別できなかったが、須藤の方は納得したらしい。

『「結晶化の進行度に関係なく、再現は可能である」、というのがお前の見解か』

 主には亨のために、須藤は要点をまとめてくれた。おかげで要点はつかめたが、亨の理解はまだまだ追いつかない。

『トオルの結晶は完璧には程遠い。けれどそれは再現度とは関係ありません。結晶化の進行度は、どちらかというと異能を再現するのに必要な身体的機能に影響するものと思われます。完璧な結晶でないために他者の異能を完全に再現するには身体が追いつかない、したがって完璧な再現は不可能。そうだとしても、トオル自身が再現の方法を工夫すれば、実際の戦闘で用いるに足りる能力を発揮できるはずです』

 美雪ほど頭の回転が早くない亨のために、須藤が引き継いで説明する。

『つまり、結晶化を進めずに他者の異能を再現するには、トオルにもできる代替手段を見つける必要があり、また、それで事足りる。今後の異能実技の目標は「代替手段の模索」となるわけだ』

 ここまで噛み砕いてもらえれば亨にもわかった。

 美雪は、正のように完璧な分身を作ることが不可能であるとしても、亨に可能な方法で、より人間に近い分身を形成することの方が有益だと判断したのである。悪戯で、例の幼い頃の亨を分身として生み出したときのように。

『トオルには等身大の分身を作るだけの細胞複製はできません。細胞複製に関する身体的素地が未熟だからです。けれど、スケールを小さくすれば、より人間に近いドッペルゲンガーを作ることはできます。結晶化を進めずに実戦で耐えうる戦闘技術を習得させるには、オリジナルの再現度を捨て去る思い切りのよさも必要かと』

 確かに、結晶を成長させないままでも実戦に参加しうる方法があるのなら、それは願ってもない話だ。しかし、口で言うのは簡単だが、本当にそんな方法が通用するのか。

 訝しんでいるのが顔に出ていたのかもしれない、美雪は亨に向き直って、子どもに言い聞かせるみたいに付け加えた。

『別に、突拍子もない話ではないでしょう。小学生はxやyの概念もわからないうちから、算数の授業でリンゴとミカンをいくつ買ったか計算しているのよ? 計算の過程が違うだけで、得られる答えは同じでしょう。大人になると、変数を使わずに計算する方が難しく感じるようになってしまうけれど、ね』

『俺には、xもyも使わないで答えを見つける小学生の頭が必要ってことですか?』

『ええ。問と解がオリジナルと同じなら、途中式までオリジナルの異能者に合わせる必要はないわ』

 のっぺらぼうの、明らかに人間でない造形の分身を作り続けるより、幼い姿であっても人間らしい分身を作る訓練をすべきだ、と。

 結晶化が進むのは御免被るが、部隊で足手まといになるのはもっと嫌だ。美雪の提案に乗ってみるのも悪くないかもしれない。

『そこで隊長。お願いがあります』

『どうした?』

 美雪はここで、須藤の前で姿勢を正して、頭を垂れた。

『今後、トオルに求められるのは迅速かつ有効な再現手段の立案です。手始めにクラスメートの異能実技を見学させ《学習》の下地を作るとともに、再現のパターンを用意させておくのがよいと考えます』

『……なるほどな。確かに、《学習》は数をこなしてこそだ』

 須藤には美雪の言わんとしているところがすぐに理解できたらしい。面白い、と頷いた。

『わかった。講師たちには俺から依頼しておこう。ミユキもトオルも、学習の異能に関して詮索されては敵わないだろ』

 ありがとうございます、と、美雪がもう一度頭を垂れるのに倣って、亨も慌ててお辞儀する。須藤は、いつもの女性受けしそうな柔らかい笑顔を亨に向けた。

『ミユキはスパルタだろうが、教え方は丁寧だ。頑張ってついてってくれよ?』

 亨は苦笑でそれに答えた。

 

 学生時代に散々冷たい視線を浴びた先輩の話は、亨もよく聞いている。

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