魔王陛下の食卓の音楽

 

第三章

 

 〜聖の作戦〜

 どこからか持って来たホワイトボード、その前には、メガネをかけ、手にレーザーポインタを持つ聖。まず形から入るのが聖である。
 そして向き合う長テーブルには桜。桜には厚さ1センチほどのレジュメが事前に配布されている。桜はそれをパラパラとめくりながら、退屈そうにあくびをした。
「よし、これから俺様が健康的な食生活のメリットをとことん教えてやる。レジュメには目を通して来たか?」
「さっき押し付けられたばっかりなのにこんなに読めるわけないでしょ。最初の二ページで限界」
「お前の活字嫌いは把握している、問題ない」
「じゃあ初めから薄くしてよ……」
 ぶつくさ言いながらも、二ページだけでも読んだというのは彼女にしては努力した方で、こういったところに彼女の律儀さが表れているといえる。
 聖は「で……」と視線を桜の後ろに向ける。「なんでお前までいるんだ?」
「……オレも、勉強させてもらいたいと思って……」
 桜の後ろに自前の長テーブルと椅子とメモ帳を用意して、真剣な表情でホワイトボードを見つめている理仁。そんな彼を、聖は半眼で睨む。
「お前なぁ、どうせ食わなくても生きていけるんだから無理しなくていいだろ……」
「いいわ、聖。理仁にも教えておやりなさい」
「この際ですから、まとめて生徒にしちゃえばいいんですよ!」
 テントの入り口で見守っていた友恵と十兵衛が口を挟む。
 聖は小さく舌打ちしてから、「じゃあ始めるぞ」とホワイトボードに向き直った。理仁は友恵と十兵衛に感謝した。
「まず、健康的な食事に欠かせない三大栄養素についてだ、レジュメの三ページを開け」
「え、そこまだ読んでない」
「二ページまでは端書きみたいなモンだ、端折る」
「じゃあ要らないじゃん! 初めから三ページ目からにしてよ!」
「やーかましい、さっさと開く!」
 桜は渋々といったふうに三ページ目を開く。そこには家庭科の教科書によくあるような三項目が掲げられていた。
「まずは炭水化物。これは脳や体を動かすための燃料だ」
 炭水化物、と可愛らしいフォントでカラフルに印刷されたマグネットが、ホワイトボードに貼り付けられる。ちなみにこれも聖のお手製である。やはりまず形から入るのが聖である。
「そして次、タンパク質。筋肉や血液、臓器を作るための栄養素だな」
 タンパク質、とこれまた可愛らしいマグネットをホワイトボードにぺたり。
「最後に脂質。これはエネルギー源にもなるし、ビタミンを運ぶ運送屋にもなるし、他にも……」
「聖先生、少しいいか?」
 理仁が挙手する。聖は「ん?」と振り返る。「どうした、理仁」
「桜の様子がおかしいんだが……」
「あ? どうした、桜?」
 桜がテーブルに突っ伏している。つんつんと頭を突くと、桜は重そうに頭を持ち上げた。
「聖ィ…… 頭パンクしそう……」
「すでに⁉ まだほんの序の口だぞ⁉」
「だってぇ…… うう、頭熱い……」
「知恵熱⁉ お前これだけで⁉」
 ぐったりとした桜を、がくがくと揺さぶる聖。
 理仁は「あまり刺激を与えない方が……」と聖を止める。
 入り口では友恵と十兵衛が、その様子を見て苦笑いを浮かべていた。
「まあ、そうなりますよね……」
「桜の勉強嫌いは昔っからだものねぇ……」

 結果報告:失敗

 

 〜友恵の作戦〜

 友恵がキッチンに立っているのを、桜は物珍しそうに眺めていた。
「お姉ちゃん、なに作ってるの?」
「桜にも食べてもらえるようなお料理を考えたの」
「なになに?」
「スイートポテトのビシソワーズと、京野菜のバーニャカウダよ」
「ビシ……?」
 初めて聞く料理名をうまく聞き取れず、桜は首をかしげた。
 キッチンの入り口で見守っていた理仁と十兵衛は、顔を見合わせた。
「友恵さんは、和食が得意だと思っていたが……」
「ですよねぇ、いつも和装だし。和風のイメージが強かったので、なんか意外です」
 ちなみに、キッチンの外では聖が、使われることのなかったビニール袋いっぱいのマグネットを取り出しては見て、「せっかく作ったのに全然見せ場がなかっただと……」とぶつくさ垂れているが、面倒なので誰も相手にしない。形から入る聖はたまにこういった目に遭う。
 友恵は「さて、できたわ」と桜をテーブルへと連れて行く。
「こっちがビシソワーズで、そっちがバーニャカウダよ」
「スープと野菜スティックみたいな感じ?」
「そうねぇ。さあ、召し上がれ」
 桜はスプーンでビシソワーズを一掬いして、しばらく見つめたあとにぱくりと口の中に入れる。すると「おお……」と感動したように目を輝かせて、もう一掬いぱくり。
「お姉ちゃん、これ、おいしい」
「よかったわ。バーニャカウダはいかが?」
「ん……」
 優雅な友恵らしく美しく盛り付けられた京野菜から、まずなにを食べようかと迷ってから、とりあえず聖護院大根に箸を伸ばす。白味噌風味のソースに絡めてから、それを口に運ぶ。へにゃり、と笑って、「これもおいしい」と友恵に伝える。
 友恵はそれを微笑んで見ていたが、やがて腰を上げた。
「お姉ちゃん?」
「美味しそうに食べてもらえてよかったわ。私は後片付けをしてくるから、ゆっくりお食べなさい」
「はーい」
 友恵は静かにキッチンに戻る。
 それを見送ってから、桜はそっとテントの入り口で見守る理仁と十兵衛に目をやった。目が合うと、「こ・っ・ち・き・て」と身振り手振りで伝える。
「……?」
 理仁と十兵衛は顔を見合わせて、音を立てずに桜のテーブルに近づく。
「どうしたの、アネキ?」
「いやさ、お姉ちゃんの手作り料理なんて滅多に食べれないから、残しちゃ悪いなーと思ったんだけど、やっぱ量多いわ。応援してよ」
 桜は苦笑する。十兵衛は「わりと量少なめだと思うけど……」と呟いたが、
「でも、確かに友恵さんの料理ってレアだからオレも食べてみたい」とも付け加えた。
「よし、じゃあ十兵衛、バーミャ……なんだっけ、これ、半分食べていいわよ」
「そんなにもらっていいの?」
「あと、こっちのビシ……なんとかも食べて」
「それオレも気になってた!」
 十兵衛が嬉々として箸を動かすのを、理仁はぼうっと見ていた。
 ふと、彼を見上げる視線に気がつく。桜が理仁を見上げていた。
「理仁、あんたも食べない?」
 理仁は首を振った。「オレはいい。オレより桜が食べた方が、友恵さんも喜ぶ」
 桜は「そう」と短く答えて、京野菜との格闘を再開した。

 片付けを終えて戻って来た友恵は、皿が綺麗になっているのを見て驚いた表情を見せた。
「あら、全部食べたの?」
「あー、うん、まあ……」
「ふうん……」友恵はおもむろに十兵衛の前に立ち、その口元を指で拭った。
 白いソースが残っていた。十兵衛が「あっ……」と青ざめるがもう遅い。
「十兵衛、貴方、桜の応援をしたでしょう?」
「えっと、その……」
「あのね、お姉ちゃん、アタシが頼んだの……! ごめん……!」
 怒られることを覚悟した桜と十兵衛だったが、友恵は苦笑しただけだった。
 友恵は理仁の方を向いて、「貴方は応援しなかったの?」と訊ねた。
 理仁が首を振ると、「ふうん……」と意味深な笑みを浮かべた。

 結果報告:異分子が乱入

 

 〜十兵衛の作戦〜

「やっぱり、たくさん食べたら褒めてもらうのが、一番嬉しいと思うんです!」
 十兵衛は友恵と聖と理仁に対して力説した。
 聖も(ようやくダメージから復活したらしい)、「確かに、条件付けの理に適っているな」と同意した。
「オレ、チビの頃におばあちゃんにおはぎ作ってもらって、それたくさん食べたらおばあちゃん、褒めてくれたんです! だから、オレは今でも食べるの大好きだし! アネキも、たくさん食べた時とか、残さず食べた時とかに褒めてあげれば、きっと食べるのが楽しくなりますって! というわけで、オレ、アネキのこと褒めてきますね!」
「え、おま……」聖が止めようとしたときには、十兵衛はすでに夕飯時でごった返す大テントの中に飛び込んで行った後だった。

「……なに?」
 隣でニコニコしている十兵衛に、桜は訝しげな表情を見せた。
「あのね、アネキ。今日はごはん残さず食べたら、いいことがあります!」
「なに? デザートにアイスでも付くとか?」
「オレが褒めます!」
 桜はぽんぽんと十兵衛の頭を軽く撫でた。
「それはうれしーんだけどさ、さっきビシなんとかとバーミャなんとか食べた
から、多分今日も食べきれないわ」
「えっ、アネキ、オレに褒めてもらいたくないの?」
「どうせ褒めてもらうならお姉ちゃんがいい」
 それはもうバッサリと。
 十兵衛は肩を落として友恵達の元へ帰還した。
「オレじゃダメだって……」
「だろうな」
「でしょうね」
「……気を落とすな、十兵衛」
 弟だと思っている相手に褒められても桜はあまり喜ばないだろう(し、むしろバカにされたと怒るかもしれない)と、大人達には予想がついていたのだが、純粋な少年を止めることもできず、結局玉砕させてしまった。
 可哀想なことをしたと、理仁は申し訳なく思った。

 結果報告:自爆

タイトルとURLをコピーしました