魔法使いによる四重奏

 

 ”レオ”の名は、ベアトリクスが呼んでいるのを便宜的に議会内でも採用しただけらしく、生態系が確立する頃に生まれた、元はただの鳥だった彼には、一般的な意味での名前はない。初めて顔を合わせたとき、そういうわけだから「レオで構わない」とその獣は言ったし、廣光もあまり深く考えることなく、彼をレオと呼ぶことにした。 
 議会が立てる作戦とやらは、いつも極めて単純で、首を鎖で繋がれたレオと廣光たちに時を遡らせ、目的の人物を抹殺せよ、手段は問わない、というものだった。たったそれだけのことをどうして完遂できないのかと、先ほどまで上層部からユーリとともに叱責を受けていた。 
 簡単なことだとクライアントたちは言うが、実際に”時空渡り”を経験してからものを言ってほしいところだと、口にこそ出さなかったが廣光の気分の悪さは過去最低記録を更新していた。状況把握に優れた”全知全能”のベアトリクス、一歩先を読む”視覚強化”のユーリ、そしてあらゆる戦況に対応できる”魔法作成”の廣光。特にユーリと廣光は元兵士としての実績がある。実力派揃いのこのメンバーで、まだ異能を持っていなかった時代のユーリと廣光を抹殺できなかったのは、「本当に小さな偶然の積み重ねによって過去の彼らが守られていたから」としか言えない。 
 過去のユーリについては、現在のユーリの強化された視覚でも捉えることができなかった。最初はユーリが怖気づいたのではないかと疑いすらした。どうにかベアトリクスが居場所を突き止め、ユーリと廣光が夜の駐屯地にまで赴き暗殺を企てたが、ユーリは当日の夕方に下りたという指令に従って別の地域へ移動していた。そのときのユーリは怒り狂って、駐屯地を血の池地獄にしてやらんとばかりに短剣を抜こうとしたので廣光は全力で止めた。ここで罪を重ねてどうするのかと呆れ半分、そして本気で過去の自分を殺そうとしていたのだとわかった驚きが半分。『ここでそんな指示は下りてねぇんだよ!』と自分の記憶との齟齬を主張して何故か廣光に斬りかかろうとし始めたところでレオの”時空渡り”はタイムリミットを迎えた。結果はもちろん大失敗である。 
 次の標的・過去の廣光については、前回より少し前の時代、少年期にまで遡って抹殺を企てた。廣光自身にすら驚くほど抵抗がなかったし、ましてユーリが情けをかける筋合いもないはずだった。しかし、ユーリの目はそのときも廣光を捉えることができなかった。廣光の記憶では、この時期の自分は生まれ育った実家から学校へ通っていたはずだと、実家と学校に張り込んだが、それらしき少年の姿はなく。どういうことかと級友に近づき問えば、ちょうどその日の朝に、弟妹の疎開先である母の実家で祖母が倒れたと連絡があり、朝一番の汽車で旅立ったことがわかった。弟妹が母の実家に疎開していたことは覚えている。しかし、祖母が倒れたなどという記憶は、廣光にはない。この件でまたユーリが斬りかかってきたのをいなして祖母のもとへと向かおうとしたところで、時間切れとなった。連続の大失敗である。先ほどの叱責はこの件に関するもので、同時に次の指令が言い渡された。 
 明日は、さらに時代を遡って、ベアトリクスの少女時代へ向かう。士気に関わるので言い出すことはしなかったが、今回も何かしらの問題が起こるだろうと、そして、少女を抹殺することはできないのだろうと、廣光は頭の隅の方で直感していた。その原因は未だによくわからないが。レオならばわかるかもしれないと思いつき、現在、廣光は彼の隔離施設へ向かっていた。 
 何重ものセキュリティと構成員による検査を受けたのち、通されたのは窓も、通気口すらない、全面を鉛板で覆った円筒形の部屋。その獣は壁に背を預けて何もない空中をぼんやりと眺めていたが、廣光が部屋に足を踏み入れると、鎖で繋がれたままの首をそちらへ向けた。 
「ああ、ヒロミツ。おはよう」 
「おはよう、レオ」 
 時空を飛ぶ羽は獅子の胴体にぴったり畳まれて、蛇の尾は来客を喜ぶかのようにふるりと震えたのち体躯に添えられるように丸まって落ち着いた。頭部も獅子のように見えるが、普通の獅子よりも表情が豊かなような気がする。そして頭脳は人間。発声機能はどうなっているのか、廣光にはよくわからなかったが、ここまで異形だと人語を喋れる程度では大した問題でもないように思えた。 
「明日はベアトリクスを殺しに行くらしい」 
 胡坐をかいて、膝に肘を預けると、身体を寝かせたまま首だけ持ち上げたレオとちょうど同じくらいの視線の高さになった。レオは「ふうん」と相槌を打つ。 
「懲りないんだな、ここの人たち。いい加減、気づいてもいい頃だろうに」 
「やはり、無理なのか?」なんとなく察してはいたが、念のため確認してみる。 
「そりゃあね。おれはここにいるおれだけで、他のどの世界線にも時間軸にもいないけど、ヒロミツたちはそうじゃないだろ? 別の時代には別のヒロミツたちがいて、もし彼らと交流でもしようとすれば大きな歴史矛盾が起こる…… その時代には一人のヒロミツしかいないはずなんだから、二人いるのはおかしいって話ね。よって、歴史は半ば強制的にその時代のヒロミツを君から遠ざけるようはたらく。ユーリの時も同じ理由で記憶と歴史にズレが生じた。結構な無理矢理感はあるけど、歴史はなんとしても改変を拒もうと、君たちの邪魔をするんだ」 
 レオの声はもとが鳥だというだけあって、成人よりも少し高い、声変わり前の少年のような明るさを持っていた。 
 廣光は「ふうん」と、先ほどのレオと同じような相槌を打った。正直話の内容は半分ほども理解できていなくて、ただ、やはりやり直しなどできないのだという事実だけが心を暗くする。 
「……何故、それをわかっていて議会に協力するんだ?」 
 面倒な手続きを踏んでここまでやってきたついでに、疑問に思ったことを訊ねた。レオは「まあ結果的には少しも協力してないけどね」と前置きした上で、 
「だって、あいつらはおれを捕まえて、しかも三人の同胞を集めたんだ。それってなかなかできることじゃない。折角だから、人生の先輩として悩み多き君たち後輩たちに一言訓辞を垂れようかなって、思いついたのさ」 
「暇なのか、貴方は」 
「ヒマといえばヒマだね」 
 耳の裏が痒かったらしい、左後ろ足で素早く毛並みを整えつつ、「ところで自由とヒマって表裏一体じゃない?」と、レオはいま思いついたかのように持論を披露した。寺で過ごした空白の六十年が思い出され、廣光が「そうかもしれない」とだけ返すと、レオは満足したように後ろ脚をひっこめた。 
「今回、同胞たちに逢えたことだけは嬉しいけどさ。いい加減ここでの生活にも飽きてきた。やっぱりおれは呑気に飛び回ってるのが性に合ってるんだ」 
 レオは、今度は折り畳んでいた羽をふるりと広げて震わせた。穏やかな風が廣光の黒髪を撫でて遊ぶ。確かに、この美しく輝く黄金の羽は、折り畳んだままではもったいないなと、廣光も思った。 
「出て行くのか?」 
「そうだね。……ああ、でもベアトリクスの件が終わるまでは付き合うよ。そのあとはまあ、うまく逃げるさ。そのときはおれのことは気にしなくていい、君たちは君たちの安全を最優先に動くんだよ」 
 幼い弟に言い含めるような口振りだった。面映ゆく思いながら、そっと頷く。 
 背後の鉄扉がそっと開き、「ノウミ・ヒロミツ。時間です」と係員の声が響く。廣光は係員に答える代わりに腰を上げた。 
「それでは、レオ。また」 
「ああ、またな」 
 話をできるのはこれで最後になるかもしれなかったから、念のため挨拶を済ませておく。レオの方もその意図を汲んで、蛇の尾をゆらゆらと振った。 

 

 レオが意図をもって廣光に会いに来ない限り、これで今生の別れとなるだろう。もし何かの縁で彼が未来の廣光のもとへやって来ることがあったとしても、その廣光はこの時代から先、いくつもの可能性で分岐するであろうたくさんの未来のうちの、たった一つの軸にいる廣光だけなのであって、自分がその軸に居合わせるとは限らないわけで。 
 だというのに、またすぐに会えるかのような、おれちょっと寄り道していくから、みたいな気軽さで別れてしまったのが、自分のことながら、なんだかおかしかった。随分年の離れた兄のような彼は、いつだって自由に飛び回って、時々は自分のこともどこかで見守ってくれるんだろうという安心があった。議会の思惑はともかく、このとき彼と出逢えたことだけは、廣光にとって間違いなく幸運だった。 

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