魔法使いによる四重奏

 

 レオは廣光、ユーリ、そしてベアトリクスを連れて、足取り軽く時空を駆ける。彼が足を止めたのは薄暗い森の中で、廣光が周囲を見回すと、右手に五〇メートルほど離れたところに住居の明かりが見えた。 
「ちょっと遠出したから、今回は一時間くらいが限度かなぁ。おれはこの辺りにいるから、頑張ってね」 
 ちっとも応援する気のないレオにユーリはあからさまな舌打ちを返し、居住区の方へ向かっていく。廣光がベアトリクスにどうするか視線で問うと、彼女は「行きましょう」と足を踏み出そうとしたので、それを押しとどめて横抱きに抱き上げた。「足元が見えない。その靴では危ない」驚いた様子の彼女に少し遅れて理由を述べれば、「それは先に言って欲しかったですね」と苦笑しながら、ベアトリクスは礼を述べた。 
 そこは小さな村らしかった。ベアトリクスは「十を過ぎた頃に住んでいた村です」と記憶を遡っていく。 
「時代は魔女狩りが本格化し始めた頃。まだ危機感の薄かったわたくしたち一家は、この村は大丈夫だと、信じ切っていました。ですが、叔母夫婦を密告した者がいました。それから、疑念が伝播し始めました。叔母夫婦の次は、従姉妹が。その次は、祖母と母が。そして姉が。父はわたくしに、妹を連れて村を出るよう言いました。わたくしたちは父に言われた通りこの森を抜け、父方の祖父母のもとへと急ぎました。 
 ……祖父母の家にたどり着いたとき、父もまた、役人に捕まったと聞かされました。妹は道中で負った怪我が原因で熱病に苦しみながら死にました。わたくしには妹の手を握り祈るほかなかった。わたくしに智慧があったならば、妹を救えたのに。満足に手当てもしてやれなかったことが申し訳なかった。可哀そうに。可哀そうなわたくしのアンネ……」 
 いつもの煙に巻いたような話しぶりではない、訥々と思い出したことをそのまま語る小さな唇は青ざめていた。少女の肩に手を当てて、視線を無理矢理合わせる。 
「ということは、ここにいるのはまだ、魔女狩りの恐怖を知らないか、知ったばかりの、普通の少女の貴女なのだな?」 
「え、ええ…… まずは自宅に向かいましょう。叔母の存否、彼女が居なければ祖母と母と姉の存否。彼女らもいないとなれば、もうわたくしは森に逃げた後かもしれません」 
 はっ、と、自身のやるべきことを思い出したベアトリクスは、なるべく暗い道を選んで馴染んだ目的地へと向かう。廣光とユーリがそれに続いた。 
 叔母夫婦の自宅だという家には、灯りがなかった。ここは間に合わなかったかと、ベアトリクスは沈痛な面持ちで建物を見つめていたが、すぐにあとの一か所、ベアトリクス自身の実家を訪ねる。 
 実家も、灯りがなかった。廣光とベアトリクスは顔を見合わせたのち、玄関へと近づこうとする。ベアトリクスがドアを引き開けるよりも一瞬早く、ドアは乱暴に開け放たれた。 
 驚いて倒れそうになるベアトリクスを背後から抱き留めて、廣光は騒ぎの中心を確認する。数人の男たちに抑え込まれ、連れ出されたのは、廣光より一回り年上だろうか、黒い髪はどこかで見たことのある気がする、男性だった。おとうさん、と腕の中の少女が小さく漏らす。 
 男性の方も、野次馬とは明らかに纏っている空気が違う、少女と異国の衣装の男二人に気づいて、何かを察したらしかった。放してくれ、俺は違う、そんな弁解の中に紛れ込ませた父の願い。 
「アンネ! マリーア! 彼女らに幸せを!」 
 ベアトリクスは唇を引き結んで、人が集まってきた自宅を後にする。 
 ユーリは一足先に、少女たちが入って行った森の入口にいた。 
「ユーリ。彼女たちを追えますか」 
 ベアトリクスが強い口調で確認する。ユーリは右の口角を釣り上げて「おうよ」と答えた。 
「時間は経ってねぇ、これなら気配の残滓も十分に辿れる」 
 そう言って先を歩き出す男に、ベアトリクスと廣光が続く。 
 ふと、廣光は懐中時計を取り出して、時間を確認する。レオに導かれ、この場所に来てからすでに三〇分が経とうとしていた。残された三〇分で、自分に何ができるのか。 
 結局はなにもできない。それが、レオとの対話で結論付けられた答えだった。自分たちには歴史を変えられない。歴史とはそれほどに強固で、そのくせあれやこれやと柔軟に廣光たちを妨害する歴史変容を齎して、娘の幸せを願う父親の願い一つだって、叶えさせてはくれないのだ。 
(……でも、それならばどうして、レオは自分たちをここへ連れてきたのだろう) 
 目の前を震える脚で進む少女を見つめながら、廣光は考え込んでいた。 

 

 少女は、姉とともに森へと入った。父は森をいくつか抜けた先にある祖父母の家へ向かえと、見たこともないほど怖い顔で送り出した。たぶん、先日から叔母や従姉妹、祖母に続いて母と上の姉までもが、役人に連れていかれたことと関係している。だから、寂しくても怖くても、泣くことはできない。今は、震えながらも手を繋いで歩いてくれている姉に、遅れないようについていくだけ。 
「大丈夫よ、お姉ちゃんはこの道、覚えてるから」 
「うん」 
 姉が後ろ手に繋いだ右手に力を込めたから、少女もそっと、けれど強く握り返した。 

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