或る天才の大晦日の独白

 

 正月になると思い出す。
 弟分と初めて真剣に向き合った、あの年の最後の日を。

 

 一体どうしてこうなった。
 松原聖は自分のテントで泣きべそをかいている、最近できたばかりの義弟に手を焼いていた。
「……だーかーら、桜だって悪気があったわけじゃねぇし、ちょっとした勘違いじゃねぇか」
「でも、タコは飛ぶんですもん」
 ぐずぐずの鼻先は真っ赤で、唇はきゅっと引き閉じられて、泣くもんかという気概は伝わってくるが実際のところすでに泣きはらしていると言っていい。
 この義弟・高辻十兵衛が泣いている理由は、十兵衛が小一時間かけて説明した一連の出来事を聖が要約すると至極簡単、義姉の桜とケンカした、ということだった。
「あのなぁ、いや桜も大人げねぇとは思うが、凧を見たことねぇ人間に『タコは飛ぶ』っつったってわけわかんねぇよ。桜にとってタコといったら脚が八本の海洋生物なんだよ。海洋生物が空飛ぶかよ」
「ひじりさんは知ってるじゃないですか」
「そりゃぁ天才に死角はねぇからだよ」
 松原聖、歳は十六。すでに米国有名大学を修了した天才であり、上役たちの日本贔屓もあって、日本の正月の風物詩だってもちろん把握している。
 ただ、世界各国の異能者たちが集結しているこの異能者集団”ノアの箱舟”において、極東の島国の文化に関心を持っている人間はそうそういない。先述した日本贔屓の上役と聖が例外なのである。しかしそんな事情を、最近魔王が拾ってきたこの年端もゆかぬ少年が、すぐに理解できるはずもない。名前が日本風というのもあって逆に混乱しているのだろう。
 だがそんな文句は上役たちに言ってほしい。聖にはどうしようもない事情だ。
「理仁にでも頼んで桜に説明してもらえよ。なんで俺のとこに来るんだよ」
「魔王様に相談したら、よくわからない顔されたんです」
「……」
 おそらくあの魔王は状況を把握できてすらいない。
 というか、説明下手が歩いているような存在に桜との仲裁役を頼めなど、聖としたことが天才らしからぬ的を外したアドバイスであった。聖は一瞬だけ反省してからさっさと次の案を考え始める。
 桜はもともと幽閉されていた身で、ときどき聖たちが思いもしないことを知らないことだってあるし、一般的な知識に友恵も頭を抱えるくらいの不安要素がある。その代わり、うまく教えれば大抵のことは理解できる素地がある。友恵はその点を見抜くと、人間の恐ろしさ以外の何も知らなかった桜を、普通の生活を送れるくらいにまで育て上げた。きっとうまく説明すれば桜も十兵衛の言いたいことがわかる、聖も確信している。
 そして、桜に対する「うまく説明する」というのは、延々と理論を語るお勉強のような説明ではない。たぶん彼女はそんな場におとなしく座っていることもできない。とにかく座学は苦手なのである。
 友恵はよく口にしていた。
『習うより慣れよ、百聞は一見に如かず、ってね』
 つまり、一度見せてやればいい。空を飛ぶタコを。
 ということは、凧を作る必要があるのだが。
 念のため確認しておく。
「お前、凧作ったことあるか?」
「近所のおじいちゃんに作ってもらったことならあります」
 自作したことはないようである。凧というのは呑気な顔をして宙を浮いているが、あれでなかなか難しいのだ。
 聖はちらりと自前のノートパソコンを見た。今日は新作のゲームを試すつもりだったのに。はっきり言って面倒くさい。けれど目の前で泣いている弟分を放っておけるほど薄情でもない。そんな自分が一番面倒だ。
「んじゃあ作るぞ。桜に見せつける凧、俺とお前で」
「……いいの?」
 泣き続けて赤くなった顔を、そばにあったタオルで適当に拭いてやる。力加減がわからず「いたいです」と生意気にも文句が飛び出したが、生意気を言う元気はあったようだとかえって安心した。

 斯くして、聖と十兵衛、初めての共同クラフト作業が幕を開けたのである。

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