第4話 港町にて待ち合わせ

 場所はレンガ造りの倉庫前、時刻は正午を少し過ぎた頃。
 SLWの権限で人払いしたらしく、観光客で賑わう普段とは打って変わり、周辺に人影はなく、しかし緊張に包まれていた。
 末端の捜査員には、「とある事件の重要参考人」としか伝えられていないという。それでも、第一捜査隊長が自ら出向いたことは、これから現れる人物の重要度が極めて高いことを推察するに充分な資料だった。
『末端といえばボクらも末端だけどね』
 頭の中に響く他人事のような声に、亨は(マモルにはまったく通用しないのだが)半眼でもって応えた。案の定、マモルは能天気に続ける。
『っていうかさ、ミユキさんとハヤトさんはともかく、ホタルの護衛に三等が三人と隊長さんしかいないって、正直しんどくない?』
『まあそれは言える。鏑木はともかくエデンは感知担当だし俺たちは新人だし』
 今度は素直に、頭の中で答えた。美雪と隼人がいれば十分に心強かったし、今後の情報統制を鑑みても少人数で動くのは正解なのだが、最も心配な点は「自分たち三等隊員が足を引っ張らないか」である。先日の古賀の件も、美雪と隼人が駆けつけてくれていたから助かったのであって、ほたるの護衛という本来の任務は完全に失敗している。
 強くならなければならないと思う。これでは手の届く隣人すら守れない。
『あんまり思いつめちゃダメだよ、トオル。トオルはハヤトさんの異能力をあの場所でできる最高の精度で再現した、それってすごい成長だって、美雪さんも驚いてた。焦りはダメ、ゼッタイ』
 亨が考えていたことはマモルに筒抜けで、思わず苦笑した。今に始まったことではないがプライバシーも何もあったものではない。そんなもの、どうでもよくなってしまうくらいには、亨も彼に自分の半分を預けてしまっているのだけれど。
 須藤が左腕を持ち上げるのが視界の端に見えて姿勢を正す。到着してどれほど経ったのか、緊張していたせいで体感時間は当てにならなかったが、張り詰めていた神経を緩めてしまうくらいには、頭の中での対話に夢中になっていた。
「エデン、何か異変は」
「……今のところ無いわ、隊長」
 須藤の問いかけに、エデンが固い声で答えた。口喧しいが真面目な性格な彼女のこと、恐らくは鼓膜が破裂するぎりぎりのところまで聴覚を尖らせ続けているのだろう。
『でもさ、そういう自己犠牲的なやりかたは美徳にはならないと思うんだよねボク。ホタルが気づいたらやめさせるでしょ、きっと。つまり、そういうことなんだよ』
『言いたいことはわかるけどエデンの気持ちもわかるからノーコメントで』
 先の失敗を引き摺っているのはエデンも、美鈴も同じなのだから。亨だってエデンと同じだけの能力が扱えるなら同じ行動を選択するだろう。
『隊長。上空に隊のものとは所轄の違うヘリが近づいています』
 無線機から、長距離を監視していた美雪の硬質な声が響く。亨は思わず視線を空へ向けたが、第一部隊が配備しているヘリの他は見当たらない、それどころかプロペラ音も響いていない。
「音声遮断?」美鈴が眉を寄せ呟く。
「舐めんじゃないわよ!」
 エデンが上空へ意識を向けたとき、その鋭すぎる耳は確かに声を拾った。

「なーんだ、見つかっちゃったじゃん」

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 まずは超高高度からの敵陣視察、ほたるの無事を確認したら着陸したのち音声遮断と映像操作を解除。……の、予定であったが。
 桜は金髪の少女の真っ青な瞳と、明確な敵意がこちらに向けられたのを目の当たりにした。
 理仁を引き渡すのに、こちらの後手に回るような組織では心許ない。理仁ひとりであればどうにでもなるが、周囲にいるその他大勢が巻き込まれて緋の心臓争奪戦など始まったときには目も当てられない。
 だから、これでいいのだ。理仁はこれから、多少不自由ではあっても安全な場所に匿われるのだ。ベアトリクスのように、それが結晶を抱く異能者の自然な終着点で、今までが夢のような時間だったのだ。
 少女は術を破られた理仁に半眼を向けた。
「なーんだ、見つかっちゃったじゃん。魔王陛下の魔法も大したことないのね」
「というか、理仁お前、質量調整やってねぇだろ。俺様手製のステルス機能積んでこんなに早く見つかるわけがねぇ」
「音は消した、が。……しつりょうちょうせい……?」
「聖さん、魔王様は同時に二つ以上の難しい理屈を理解できる人じゃありません」
 散々な言われようの理仁はいつも通りなので放っておく。それよりも今は桜の気を引くものがあった。
「アタシ、先に行くね!」
「は?」
 聖の間抜けな声を背にして、ヘリのドアを開け放つ。
 さあ、見せてもらおう。
 この魔獣に代わって、魔王を守ることになる者たちの力量を。
 魔獣は、階段の最後の二段を踏み飛ばすくらいの気軽さで、飛行中のヘリから飛び降りた。

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「落下物…… 違う、人! 人が落ちてくるっ」
 エデンの戸惑いは、途端その場に伝染した。当然である。飛行中の機体から人間が落ちてくる、それだけはわかるがそれ以外のことは一切不明なのだから。
『美鈴。頭上に網を張って防護、兼、保護を』
「は、い……!」
 離れていたからか、生来の沈着冷静ゆえか、美雪が真っ先に妹へ指示を出す。
 美鈴の蔓が周囲二十メートルほどを半球体状に包み、迫り来る人物に備えた。
 肉眼でもはっきりと確認できるほどの距離になって、亨は身体中の毛が逆立つ思いをした。パラシュートも何もつけていない、彼女は文字通りその身一つで飛び出してきたのである。
 蔓がその身体を包み込むより早く、落下してきたその少女は、九つの棍棒を連ねた武器のような何かで自身を覆い隠した。そして蔓に接触したその時、球状に丸まった棍棒を回転させ始め、引き千切りながら亨たちの下へ下り立とうとする。
「だめ、蔓が保たない……!」
 美鈴が悲鳴交じりに叫ぶ。亨はエデンとほたるの前に立ち、須藤の審美眼が彼女の異能力を解明する時を待った。
 亨が須藤から学習した劣化版の審美眼は、少女の全身を覆うSn細胞の紅い光が仄かに見えるだけである。こんな異能者は知らない。特殊系に分類される異能者だろうか。亨がこの数ヶ月で詰め込んだ知識にはどれも当てはまらなかった。
 須藤はひとつ唾を飲み込み、困惑のまま呟く。
「感知系であることは確かだが、それでこの落下に耐えきれる理由は説明できない」
「それは蠍姫ちゃんのおかげかな?」
 蔓を切り裂き、紅い瞳が亨たちを射抜く。「ご先祖様の怨みの塊。憎しみの遺産。この蠍姫はちょっとやそっとのコトじゃ切れないし、目の前の敵は喰い殺さずにいられないの」
 ぺろり、赤い舌が整った唇を伝う。
「誰から喰い殺してあげようかな。まずはあのとき現場にいたお兄さん、かな?」
 須藤に視線を向けた彼女の前に、亨が立ちはだかる。
「緋の心臓を引き渡してください」
「あなたにほたると理仁を守れるのなら喜んで」
 紅い目の照準が亨に移る。亨はこくりと唾を飲み込んで睨み返した。
 亨では勝ち目がないことは最初の動きを見てわかりきっていた。だからこの睨み合いは、少女の背後から襲いかかろうとする螺子を意識から外すための囮だ。
 五本の螺子が少女の背後から忍び寄り、手足を拘束しようと構えたまさにその時、今度は真っ黒な影が地上に降り立つ。
「アネキ、いきなり飛び出すなんて無茶し過ぎ!」
 発射されようとした螺子は、少年の背から延びる黒い網のような羽に絡め捕られた。
 得物を拘束された美雪が、少し離れたところで悔しげに唇を噛んでいる。
「敵意が感じられたから。念のための実力チェックよ」
「ヘリが着陸してからでもよかったよね、ソレ!」
「つべこべ言わない!」なんとも緊張感の抜けるやりとりである。しかしそれ以上に亨たちは慄いていた。身一つで垂直に落下してくる少女も黒い羽根を生やした少年も、規格外もいいところである。
 警戒を解けずにいる少年たちの影から、しかし小さく声を上げるものがあった。
「……桜ちゃん?」
 ただでさえ丸く大きなすみれ色の瞳をまん丸にして、ほたるが少女の名を呼ぶ。
 呼ばれた方の少女は一瞬呆けた表情をしたあと、破顔して応える。
「うん。ほたる、久しぶり」
 亨の影から飛び出し、ほたるは桜に駆け寄る。「どうして、髪、綺麗だったのに」
「えへへ、切っちゃった。こっちの方が似合うでしょ? ほたるは美人になったね」
 そう言うと、桜は自分の胸くらいまでしかない身体をきつく抱きしめた。「待たせ過ぎたね。ごめんね」
 ほたるは、抱きしめる力が強いあまりに自由にならない腕を、どうにか桜の背に回し、
「ごめんなさい。わたしのせいで陛下を……」
 そう、今にも消え入りそうな声で謝罪した。
「謝るのはこっちよ。守り切れなくてごめん。残してしまったこと、ずっと悔しくて、悲しくて。本当にごめんね」
「でも、陛下はまだ旅をしたかったはずで」

「友人を見捨ててまで自由に拘るつもりはない」

 どん、と空気の重さが倍になったような、在り得ない感覚が亨を襲った。
 気配を消したまま着陸した機体から、黒衣の男が降り立ち、悠然と歩を進める。
 彼が緋の心臓を有する魔王であることを、亨は自然に理解していた。存在感が人間のそれではない。人間よりずっと重苦しく、濁流のように襲い来る圧力に恐怖を覚えた。
 ゆったりと、足音を響かせながら、男はほたると桜の前を通り過ぎ、須藤と向き合う。
「久しぶりだ、須藤俊彰。あの時はほたるを巻き込んでしまい申し訳なかった。ほたるを保護していただいたこと、感謝する」
「……私ではありません、先代の判断です。そして部下を理不尽な拘束から救い出すのは当然のことです、感謝されるいわれはありません。緋の心臓」
 須藤は眉一つ動かさずそう告げた魔王に、毅然として対面した。
 理仁は「それもそうか」と呟き、向きを変え桜から解放されたほたるに視線をやる。
「ほたる。貴女には迷惑をかけてすまなかった」
「いいえ、いいえ、陛下。ずっと見守ってくださっていた、わたしは嬉しかったです。陛下の旅路を邪魔することになってしまい、ごめんなさい」
 亨は内心で驚いていた。亨の知るほたるは、そんな縋るような眼をする少女ではなかったから。いつでも強く、凛とひとりで立っていられる少女、それがほたるだった。これは、ほたるに封印されていた彼女の別の一面なのだろうか。
「貴女が謝る必要はありません、小野ほたる」
 理仁に続き、聖の手を借りながら降り立った女性……友恵が、今にも泣き崩れそうなほたるに声を掛けた。
「皆々様、お初にお目にかかります。我々はノアの箱舟。そしてあたくしは団長である六角茂信の代理でございます。室町友恵とお呼びください」
 呆気にとられている亨たちへ一応の挨拶を述べたあと、友恵はひたとほたるを見つめた。
「小野ほたる。確かにノアの箱舟は、貴女と理仁たちが出会ったことで、SLWに追われかけました。けれど、その追手から桜たちを逃がし、独り組織で戦い記憶を捨ててまで守り通してくださったことに、我々は感謝こそすれ恨むことなど在り得ません。どうかその強さで、これから理仁の行く道を拓いてやってください」
 友恵は次に、須藤に顔を向けた。「SLW。理仁は、一時とはいえ我々と行動を共にした友人です。万が一にでも彼の魂を傷つけるようなことがあれば、我々はもう一度、あなた方の前に現れるつもりです」
「四条理仁は我々が守るべき重要参考人です。意に添わぬ苦役を強いるなど絶対にないとお約束します。そして、ほたるが守ろうとしたあなた方のことも、決して追及しません」
 須藤は、友恵の瞳を見据え、力強く答えた。
 この応えに友恵は満足した様子で、ふっと表情を緩めた。
「話はまとまりましたね。それでは十兵衛、理仁とともに行きなさい」
 十兵衛と呼ばれた少年は、拘束していた美雪の螺子を解放し、理仁のそばに控えた。
 友恵はもう一度、困惑する須藤に対し、
「彼は高辻重兵衛、実の親に虐待を受けていたところを理仁が保護した子どもです。彼は魔王の騎士として理仁とともに動いてきました。そして今後も理仁の騎士であることを望んでいます。不自由を強いられるであろう理仁の、小間使いとでも考えていただければ結構、どうかともに連れて行ってやってはいただけませんか」
「……私の一存では四条理仁と会うことまでは確約しかねますが、可能な範囲でよい環境を用意させるとだけ申し上げておきます」
 それで結構です、と友恵はあっさり引き下がった。
 ここでおずおずと、手を挙げる者があった。
「あの、隊長。少し時間をくれませんか。みんなを紹介したいんです」
 ほたるに請われた須藤は、一瞬亨に目配せをして、五分に限りこれを了承した。
 亨は察する。『千里眼を使え』。須藤の指示は、保険をかけておけ、ということだと。
 最初に友恵、次に桜。そして距離を置いている聖と、目の前にいる魔王・理仁、それに十兵衛。それぞれの瞳を覗き込み、脳に焼き付ける。これで、世界のどこにいても、彼らの記憶をトレースできる。……もちろん、完全に再現できればの話であるが。
「陛下、桜ちゃん、こちらが佐倉……亨さん」
 エデン、美鈴に続き、亨の紹介が回ってきた。
「さくら?」名前を聞いた桜が首を傾げる。「さくらってファミリーネームにもなるの?」
「ええ。漢字は違うけど……」ほたるは何故か頬を赤くして、「なんだか、桜ちゃんのことを思い出したら、『佐倉さん』は呼びにくくなってしまいました」
「トオルでいいのよ、ただのトオルで」
 エデンが横から口を挟む。特に異論はなかったし、すでに須藤や美雪たちから呼ばれている名前である、拒否する理由はない。少しだけくすぐったさはあるけれど。
「どっちでもいいよ、小野さん」
「……では、亨くんで」
 やっぱり頬が赤いような気がした。潮風にあたり過ぎたのだろうか。
「……ね。桜ちゃん、わたし、頼りになる友達ができたの。もう一人じゃないから、心配しないでね。わたしも強くなったから、陛下をお守りできるから」
 桜と向かい合い、熱っぽく語るほたるは、亨の目にも愛らしく、初々しかった。
 対する桜はからりと笑って。「うん。あたしたちを見つけたエデンちゃんも、防護網を作り出した美鈴ちゃんも、ほたるをかばった亨くんも、頼りになるってわかった。向こうのお姉さんもね。安心した」
 なんだかこそばゆい気持ちでいるところに、須藤が時間を告げる。
「じゃ、理仁、十兵衛も。元気に頑張るのよ」
「達者で暮らせよー」
 桜と聖、友恵が小さく手を振って見送る。
 それに背を向けて、第一捜査隊の面々と重要参考人の二人は、港町を後にした。

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「……よく泣かなかったじゃねぇか」
「……うるさい」
 理仁たちを乗せた車両が見えなくなったころ、聖がぼそりとこぼした。
 友恵が桜の肩をそっと引き寄せる。耐えきれなくなった少女は、姉と慕う友恵の胸に顔を埋め、声もなく泣いた。

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