モナは三限の講義があるからと、昼休みが終わる前にカフェテリアで別れた。
 ノワとポムの次の講義は四限。二時間弱ほど余裕がある。
「ヨーグルトケーキ、おいしかったね!」
 ポムはほっぺたを押さえて幸せそうな顔をしている。まあ、悪くはなかったなとノワも頷いた。
「しっとりしていたけれど、重くもなくてサッパリいただけましたね。私には少し甘かったので、いちごの紅茶を一緒に飲めたら最高でした」
「ノワお姉ちゃん、お家で作ってくれる?」
「レシピがあれば作りますよ」
 ノワは、ポムが持ってきたトレーに皿を重ねて、回収レーンへ返却すると、「図書館へ行きましょう」とポムを引き連れて歩き出した。
「大学の図書館はつまり、研究機関の情報庫。ヨーグルトケーキのレシピだってきっとあるはずです」
「そうなんだ!」
 巨大な書架を見上げて、ポムは目を輝かせた。
「まずは、この検索用端末からレシピ本がどこにあるか調べます」
 ノワは、小型獣人用の小さな端末に検索単語を入力したあと、決定キーを押した。
「レシピ本は医学の棚や地理の棚にもあるようですが、まずは料理の棚を見ましょう。ポム、596と、そこのメモに書いておきなさい」
「ごひゃくきゅうじゅうろく?」
「図書館の本は探しやすいように数字をつけて管理されているんです。今から596の棚に行きますよ」
 ペンケースから鉛筆を取り出し、メモを書き留めたポムは、先を歩くノワに続いた。
「さて、ごひゃく…… 何番でしたっけ?」
 本棚の側面に貼り付けられたプレートの数字が500を超えたあたりで、ノワはポムを振り返る。
「えっとね……」
 ポムはメモを開いて、首を傾げた。
「……? あれ? きゅうひゃくろくじゅうに、って書いてるよ?」
「え? そんなに向こうでしたか?」
 ノワとポムはおでこを突き合わせてメモをのぞき込む。確かに、ポムのへたっぴな筆跡で「962」と書いている、ようにも見える。
 鳥類の宿命とでもいうべきか、短期記憶にあまり自信のないふたりは、メモを頼りにするしかない。
「では、もう少し歩きますよ」
「ヨーグルトケーキ♪ ヨーグルトケーキ♪」
「図書館では静かになさい」
 本棚の合間を、小さなインコふたりで進む。
 962番の棚には、ふたりの知らない言語で書かれた文学作品が並んでいた。
「ここにヨーグルトケーキのレシピがあるでしょうか?」
「あ! ノワお姉ちゃん、あの絵本読みたい!」
 ポムが指さしたのは、棚の一番上にある児童書らしき一冊。
「本の背中に、じいじみたいな鳥さんがいるよ!」
「あら、確かにおじいさまにそっくりですね」
 ふたりが背伸びしても背丈が足りないので、近くで返却図書の整理をしていたテナガザル獣人のスタッフに頼んで取ってもらったその本は、一〇年ほど前に出版されたものらしいことだけ、奥付から読み取れた。その割にあまり傷んでいないのは、この図書館では手に取られることが少なかったからかもしれない。ページいっぱいに描かれているのは、どこかの古い石造りの街並みや、りんごの赤色がまぶしい市場、くじらが潮を吹いて描いた海原にかかる虹、小さな鍋を火にかけるおばあさんの後ろ姿。
「あ! このページは読めるよ!」
 ポムがはしゃいで声をあげるので、ノワはひとさし指を口元にあてた。
「しーっ」
「うん。ごめんなさい」
「ここだけインコ族の言葉みたいですね」
 みたい、と表現したのは、その文字がお世辞にもあまり上手ではない、というか歪な線だったから。たとえるなら、初めて見た言語を慣れないままに真似して描いた、記号のような印象を受ける。
「『よ』、『ぅ』、『く』、『る』、『と』……」
「これ、『ぐ』じゃない?」
「なるほど? 『け』、『ぇ』、『き』、『の』、『れ』、『し』、『ぴ』」
「わあ! ヨーグルトケーキの作り方だ!」
 ポムが小さな歓声を上げた。ノワも少しだけ興奮して読み進める。
「このおばあさんのレシピを、作者が書き写したのでしょうね」
「きっとそうだよ。ほら、こっちのページにケーキの絵があるもん!」
 ポムは教科書を読むより真剣なまなざしで、絵本の中のへたくそな文字を追いかけた。
「よぅぐるとに、おさとう、ひとさじを、いれて、さっくり、まぜる……」
「ふむふむ、さっくり、がポイントでしょうね」
 ノワはノートを一ページ破り取って、そこにポムが読み上げるレシピを書き写した。
 読み取れない文字もあったが前後の文脈で補って、最後まで書き写したレシピをふたりは満足そうに眺めた。
「作れそう?」
「ええ、特別な材料はなさそうです。小麦粉とヨーグルトと、レモンを買ってくれば作れます」
「じゃあ、金曜日の講義が終わったら市場に行こう!」
 そこまで聞いて、ノワがはたと。
「今、何時でしょう?」
「え?」
 くるりと周囲を見渡して、きらきらと文字盤が光る壁掛け時計に目が留まる。
「二時、四〇分」
「あと五分で講義ですね」
 ふたりは大慌てで本を返却棚に仕舞うと、本棚の隙間を走り抜けて図書館から飛び出した。

 そんな二人の背中を、背表紙の黒い鳥は静かに見送っていた。

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