第4話 昼食

 

 金曜日の昼休み。

 亨は友人たちと食堂で昼食をとっていた。

 話題は午前中の小テストの出来から、週一で抜き打ちテストを行うとある教師への不満を経て、この週末をどう過ごすかに移った。

「週末、どうする? 俺は数学の補講」

 出席番号四二番、山本平蔵がカレーうどんをすすった後でボヤく。

「俺、実家帰る。法事あるから」

 出席番号三八番、村上陽一はカツカレーを口に運びながら答える。

 亨は少しずつではあるがほたるから離れ、休憩時は彼らと行動することが多くなっていた。

「法事じゃ仕方ないよな。佐倉は?」

 山本に問われて、味噌ラーメンをレンゲに乗せて適温に冷ましていた亨は、今朝、ほたると約束したことを思い出す。

 それは、ただ楽しい約束などでは決してなく。

「小野さんの特別講義。俺、特別授業の確認テストでまた最下位だったから」

 山本と村上が羨ましそうな、それでいて憐れむような視線を向けてくる。

「まあ仕方ないよな。俺たちが小中でやってた基礎がスッポリないんだもん。ツラそう」

「同情するけど、小野さんの特別レッスンは羨ましい」

「それな」

 村上の正直な反応に、山本が同意する。

 亨も思う。ほたるの特別講義は正直なところラッキーだった。ほたるが可愛いというのももちろんあるが、ほたるは教え方がうまいので先生役にはピッタリだった。

「小野さんって普段どんな感じ? 俺たち、あんま話したことないんだけど。仕事でも部隊が違うから接点ないんだよな」

「同じ部隊のメンバーは仕事の鬼だって言ってたけど。可愛い顔してエゲツナイってさ」

 山本と村上が顔を見合わせて「なー」と同時に言った。

 亨はその言葉に引っかかりを覚えて訊ねる。

「仕事って? アルバイトとかダメって転入するときに聞いたけど?」

 山本が首を振る。「違う違う、そっか、佐倉はまだ知らねえんだ?」

 亨が首を傾げると、村上が胸元のバッジを亨に見せる。目立たないので気づかなかったが、銅色の星型のバッジが四つ並んでいる。

「SLWの日本支部でな、能力の高いハイスクール生を特別に入隊させる制度があるんだ。俺と山本は第三部隊の四等隊員。小野さんは第一部隊の準二等隊員。ちなみに小遣いレベルだけど給料も出る」

「まあ四等なんてほとんど雑用係だし、高校生のアルバイトと変わらねぇんじゃね? 知らねぇけど」山本が面白くなさそうに付け加える。「俺も作戦とかに参加してみたい……」

 村上は「えぇ?」と、同意できないといった目で山本を見る。「俺はイヤだな、危ないもん。ていうか親が許さないでしょ。ハイスクールの間は四等で十分」

 亨がチャーシューをスープに浸しながらそれを聞いていると、頭の中に声が響く。

『ホタルは準二等って言ってたよね? 偉いの?』

「小野さんは準二等って言ってたけど、四等とは仕事が違うわけ?」亨が頭の中の声の疑問を代弁する。

 山本は「詳しいことはわからないけど」と前置きした上で、「三等以上は四等とは全く違うらしい。準二等にもなると戦闘になるような作戦にもバンバン駆り出されるらしいし、捜査みたいなこともするらしいし、ついでにいうと給料もかなり違うらしい」と曖昧な情報を並べ立てた。

 村上は最後のトンカツを名残惜しそうに頬張りながら頷く。

「でも、たぶん三等以上の隊員は訳ありだぜ。だって下手したら戦闘だぞ? 普通なら親が許さねえよ」

「親が許さないとできないんだ?」亨が確認すると、村上は当然だと答えた。

「一応ハイスクール生の間はな。そこは未成年のアルバイトと同じってわけ」

「なるほど」

 亨が頷いたのを見て、山本が話を元に戻す。

「その話はもういいだろ、小野さんだよ。佐倉、小野さんって普段どんな感じ?」

「あ、その話続いてたんだ…… 普通の女の子だよ。朝飯はサンドイッチと紅茶一択で、よく放課後に特別講義をしてくれて、わかんないことあったら何聞いても答えてくれて、うん、普通よりちょっと親切で、優しいかもしれない」

 話している間に、ほたるには結構世話になっていることに気づいて、亨は評価を気持ち上方修正した。

 山本は意外そうに目を開いた。

「へえ? じゃあエゲツナイっていうのもただのウワサだったのかな?」

「いや、それもある意味、正しいんじゃないかな?」亨は考える。ほたるは真面目だ。主席だからというだけの理由で転入生である亨の世話係を言いつけられたにもかかわらず、すでに一ヶ月以上も親切に世話を続けてくれていて、頼んでもいないのに特別講義までしてくれる。手を抜くということを知らないのかもしれない。ただ、いつ見ても表情があまり変わらないので、情に薄いように見られるのだろう。「親切だけど、基本、表情変わらないから。人情味がないっていうかさ」

「そういうことかー」

 相槌を打った村上が最後の一口をスプーンで運んで、三人の昼食は完了する。

 三人はそそくさと食器を片付けると、人の混み合う食堂から退散した。

 

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 金曜日の昼。

 須藤俊彰第一捜査隊隊長は、ふと見上げた壁掛け時計が午後一時を回っていることに気づく。この時間ならば食堂も空いているだろうと見当をつけて、支部から割当てられた自分の待機室を出た。

 まずアラカルトコーナーに向かい、鶏唐揚げと野菜の甘酢炒めとほうれん草のおひたしの皿を取ると、次はごはんコーナーに向かってライスのMサイズと豚汁を注文する。

 暖かいお茶を紙カップに注いでトレーに乗せ、適当な席を見つけ落ち着いたところで、

「隊長、ご一緒してもよろしいですか?」頭上から女性の声がかけられた。

 顔を上げると、須藤第一捜査隊が誇る花形隊員がにっこりと微笑んでいる。

「ミユキか。お前もこれから昼飯か?」

「はい、人が少なくなるのを待っていました」

 ミユキー恩田美雪準一等捜査隊員は、手作りらしい弁当の包みをテーブルに置くと、優雅な所作で椅子に腰掛けた。

「俺は気がついたらこの時間だった。人が少なくなっててラッキーだったな」

「またお仕事に集中していらっしゃったのでしょう? もう三日もご自宅にお戻りになってないようだと、長谷川さんからお聞きしましたよ」

 須藤は苦笑して、「ああ、この前も捜査活動に影響が出るから無理せず帰れって、ホタルにも言われたよ」と何気なく呟いた瞬間、(しまった……)と内心冷や汗をかいた。

 美雪はすました顔で「小野準二等が?」と返す。

 須藤は作り笑いを浮かべて、「まあ、そう言われても仕方ないよなあ。六徹目だったし」と付け加える。

 美雪は「それはそうかもしれませんけれど」とやんわりと言ってから、

「隊長にも隊長のご都合があるのですし、隊長が捜査活動に支障をきたしたことなんてありませんわ。帰れだなんて言うのは余計なお世話だと思います」と。

 微笑みながら、この場にいないほたるを流暢かつ猛烈に非難した。

(高校生相手にここまで意地を張らんでも……)

 須藤は思ったが、いつものことなのでこの話はあまり長引かせないことに決めた。

「それよりお前、その弁当、手作りか。さすがだな」

「いいえ、このくらい……」

 美雪が開いた弁当を行儀悪く箸で指しながら須藤が褒めると、美雪はほんのわずかに頬を赤らめて謙遜した。

 きれいに卷かれた卵焼き、鯖の照り焼き、にんじんの煮物、等々。ごはんは少なめ、おかずは品数多めという、これこそ「女子のお弁当」と呼べるような弁当だった。

「そのにんじんは……」

「これは、にんじんとオレンジを一緒に煮てみたんです」

「洒落たモン作るなあ……」

「友人に聞いたレシピを真似しただけですわ」

 須藤はほっとした。ほたるの件はもう頭の外に追い出されたようだ。

 すると、今度は美雪が須藤のトレーを覗き見る。

「隊長は…… 酸っぱいもの、お好きでしたか?」

「え……?」

 おそらく、メインディッシュである鶏唐揚げと野菜の甘酢炒めを指して言ったのだろう。確かに自分の趣味ではなかったかもしれない。

「いや、なんとなく取ったんだが…… そういえば唐揚げは好きだけど、酢はそんなに得意じゃなかったな」

 そう言いつつも、須藤は唐揚げとにんじんをまとめて口に放り込む。嫌いな味ではない。白飯が進む味付けだと思った。それを飲み込んでから、白飯を口に含むと、豚汁に手を伸ばす。

 美雪は少し考える素振りをしてから、口を開く。「疲れたときは特に、酸っぱいものが食べたくなると聞いたことがあります。隊長、やはりお疲れなのでは……?」

 須藤は「あー、なるほど……」と苦笑した。まさか昼食のチョイスから部下に疲労度を悟られるとは思わなかった。

 ほうれん草のおひたしに醤油をかけようか一瞬迷ったが、塩分は控えめの方がいいだろうとそのまま口に運んだ。

 美雪は弁当に箸をつけようとしていたが、その前に須藤に申し出た。

「そんなにお仕事を抱えていらっしゃるのですか? もしよろしければ、お手伝いを……」

「いや、仕事はいつも通りなんだ」

 須藤は部下の懸念を笑顔で吹き飛ばそうとする。しかし、美雪の不安そうな視線を受けると、何か言わなければという気分になってきた。

「あー…… その、なんていうか、気疲れっていうか」

「気疲れですか?」

「そ。ハイスクールに転入生があっただろ。そいつのことでちょっと」

 亨の件は一応機密情報であるので、須藤は当たり障りのない限度を超えないよう、注意を払いながら言葉を続ける。ただし、動作はできる限り自然に、食事を摂りながら。

「そいつの能力がどうしてもわからなくってな。能力があることは俺の目には明らかなんだが。それで支部長とイザコザがあって、要するにまあ、いつも通りの支部長疲れってやつ」

 「支部長」というワードを出すと、美雪は納得したのか「そうでしたか」と答えた。美雪もようやく弁当に箸をつける。

「その転入生、ハイスクールに馴染めるでしょうか? SLWはプライマリーからずっと同じメンバーで構成されていますから、環境に適応するのは難しいでしょう」

「それは大丈夫そうだ。ホタルがお世話係になるように取り計らっといたから。この間も報告があったぜ、順調だって……」

 須藤はここまで呟いて(しまった……)とまたもや冷や汗をかいた。一日に何度繰り返せば気がすむのだろうと自分の軽はずみな発言を後悔する。

 美雪はにっこりと微笑みながら、「……その転入生の監視、小野準二等に任せたのですね?」

「ああ、同級生でちょうどよかったしな。あ、だから最近アイツの支部での仕事、減らしてるんだ。あんまり姿見かけなかっただろ?」

 美雪は何とも言えないような表情をする。おそらく、『自分の知らないところでほたるに任務が回されていたことには腹が立つが、そのおかげで顔を見なくて済むのであればそれはそれで都合が良い』と、脳内の天秤が揺れているのだろう。

 美雪が何も言えないでいるうちに、「じゃ、お疲れさん」と須藤はトレーを持ち上げる。美雪と話しながらも米粒ひとつ残さずきれいに完食していた。

「お疲れさまでした」

 背中に美雪の挨拶を受けながら、須藤はそそくさと食堂を立ち去った。

 

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 金曜日の放課後。

 亨は空き教室に呼ばれていた。

 教壇にはほたる、目の前の机には亨。

 何度も行われている特別講義だ。

「それではまず、前回の復習から」

 ほたるは黒板に「SLW」の大文字を書いて、「この組織の正式名称は?」と問いかけた。

 亨は言い慣れない片言のドイツ語で答える。

「えーっと…… サリバン・レーツト・バッフェ?」

「そう、Sullivan Letzte Waffe…… 日本語に訳すと『サリヴァン最終兵器』」

「前から思ってたけど、物騒な名前だよね」

「翻訳者のセンスでしょう。本題に戻りますね。異能犯罪者対策組織の名称であり、異能者の有する能力そのものを指すこともあります。サリヴァン博士は異能者に特殊な能力を与える細胞、Sn細胞を発見し、これを兵器として実用化する原理を打ち立てた科学者です。現在もSLWドイツ本部の研究室に所属されています」

 ほたるは、「それでは」と続ける。

「異能者がSn細胞を利用するには、身体の中にSn細胞を常に存在させておく必要がありますが、その方法は?」

 黒板には「Sn細胞」と書かれ、その下に教科書で見た細胞の構造がチョークで見事に描かれている。

 亨は教科書の内容を思い浮かべながら答える。

「一つは集中型(・・・)。目とか爪とか筋肉とかに溜め込んでおく方法。二つ目は拡散型(・・・)で、体液とかに溶かし込んでおく方法。集中型は基本的にSn細胞が体内を移動しないけど、拡散型は体内を巡っている点で異なる、だっけ?」

「その通りです」

「そこまでは確認テストでもわかったんだけど……」

「わからないところはどこですか?」

「なんていうか、拡散型の能力のイメージが掴めない」

 確認テストでも、亨はここがわからなかった。

 以前会った須藤のように、「Sn細胞が眼球に集中している」から「他人の能力を見分ける」という能力に繋がるのは、イメージがつきやすい。

「拡散型って、Sn細胞が血液とかに分布しているんでしょ? でも、血液に分布してたらどんな能力が発現するのか、イメージできない」

 なるほど、とほたるは呟くと、おもむろに自分のペンケースをがさごそとあさり始めた。

 亨が見ている前で、ほたるは細いカッターナイフを取り出し、刃をくり出す。亨は嫌な予感がした。

「ちょっと、何やって……!」

「見ていてください」

 ほたるは躊躇いなく、左手の人差し指をカッターで切った。亨にはかなり深く切ったように見えた。血が溢れ出る…… 亨は青褪めたが、危惧していた事態にはならなかった。

「え、固まった……?」

 血は、人差し指の上でピンポン球大の球形を形作り、液体の状態で固まっている。

 亨は恐る恐るそれを覗き込む。流れ出す様子はない、指の先に球体を乗せているようにも見える。

 ほたるは人差し指に注意を向けながら、「拡散型の能力者は、このように異能を扱います」と呟き、球状の血液に何事かを囁いた。

 すると、血液は長さ一〇センチメートルほどの針に姿を変えた。

「えっ……⁉」

「これを、こうやって」ほたるは血液でできた針を指の間に挟むと、腕を振りかざして投げ飛ばした。

 亨が振り返ると、針は教室の後ろの壁に突き刺さっている。

 ほたるは唖然とする亨の後ろで「このように」と操作を続ける。血液の針は意思を持っているかのように亨の横をすり抜け、ほたるの手のひらに突き立ち、

「うわ……」

 亨が振り返ったときには、皮膚に溶け込んで行くかのように吸い込まれていた。

 ほたるに断ってその手を見るが、最初に切り裂いた人差し指も、針がつき立った手のひらも、真っ白なきれいな肌で、傷ひとつできていない。

「これが拡散型の戦い方の一つです。わたしは飛針(とばり)を使いますが、他にも拡散型には、血液を螺子状の触手にして繰り出すタイプや、体液から薬物を産出して空気中に放ったりするタイプの異能者もいます」

 ほたるは左手を引っ込めると、黒板に振り返って黒板消しで特別講義の内容を消す。今日の講義はこれでおしまいらしい。亨もそれを手伝いながら、ふと訊ねる。

「あとさ、先生、もう一つの型があるって言ってたよね。結晶型(・・・)?」

 ほたるの片眉がぴくりと跳ね上がるが、それには気づかず亨は続ける。

「あれ、先生の話だけじゃ、拡散型以上に能力がわからない。小野さんはわかった?」

「……結晶型は現在まで実在を確認されていない、サリヴァン博士のチームが打ち立てた仮説にすぎません。先生も補足のつもりで説明なさったのでしょう。あまり気にする必要はないと思います」

 試験勉強の範囲外だとほたるは断言する。亨が呑気に「いや、細かいことが気になる性分で……」と頰をかくので、ほたるは溜息を漏らしそうになった。

「好奇心旺盛なのは結構ですが、佐倉さんはその前に基本的な学習を。Sn細胞の断面図を描けるようになることと、拡散型のイメージを持つことです。それと、SLWの歴史についても、おさらいしておいて下さい。そこは毎年の期末試験で出題されています」

「はーい……」

 それでは帰りましょうか、とほたるが鞄を片付け始める。窓の外はまだ明るかったが、亨が壁掛け時計を見ると午後七時を回っていた。

「土曜日と日曜日はSLW本部と日本支部の歴史について勉強します。参考書を持って、いつも通り六時半に女子寮の門の前に集合です」

「はーい…… ヨロシクオネガイシマス」

 ほたるが先に教室を出ていったので、亨は教室の電気を消してからそれを追った。

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