第6話 四番

 

 佐倉あやのは、消毒液のにおいがする温い空気の中、手術室の前で指を組んで祈っていた。

(神様、どうか息子たちを助けてください……)

 連絡を受けてすぐに、単身赴任している夫に一報を入れてから病院に駆けつけた。夫もすぐに戻ってくるという。

 心細いが、自分が負けてはならないと、あやのは一人、気丈に立って待っていた。

 やがて、看護師が現れ、あやのに一言、告げた。

 あやのは呆然とそれを聞き、薄暗い廊下に崩れ落ちた。

(……ごめんね……)

 あやのには謝罪することしかできなかった。

 

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 須藤が待機室に戻ると、ほたると美雪が資料の散乱する応接用のテーブルに無理矢理置いたノートパソコンで、コンビニの監視カメラの映像を確認していた。

「どうだ、なにか手掛かりはあったか?」

「隊長、お疲れさまです」美雪が振り返って答える。

 ほたるも一旦パソコンの画面から須藤に目を向けて、「いいえ、わかりません……」と須藤の問いに答えた。

 訊ねた須藤も大して期待していなかったので、「そうか」と一言告げるだけで自分のデスクに向かう。

「支部長に佐倉君の捜索許可をもらってきた。第一部隊からチームを組んで捜索にあたる。佐倉君の実家への連絡もしてきた。午後から俺が謝罪に向かう」

「わかりました。それでは、感知系の隊員を集めて関係各所に向かわせます」

「頼む」美雪は須藤の返事を聞くと、捜査用の端末を片手に待機室を出た。

 待機室には、須藤とほたるが残される。

「……ホタル、あんまり落ち込むなよ。今回は相手が悪い」

 須藤は、パソコン画面に見入っている部下を気遣って声をかける。

 ほたるは首を振って、「落ち込んではいません、ただ、申し訳ないだけです。わたしのせいで佐倉さんが……」と唇を噛んだ。

「お前のせいじゃない。俺もまさかビッグ4にお目見えすることになるとは思わなかった。佐倉君のことをもっとよく調べてから、SLWで保護するべきだったんだ」

「でも……」

「とにかく、お前は自分を責めるの禁止」

 さらに何か言おうとしたほたるを、須藤は止めた。実際にほたるに非はなく、自分の采配ミスだと、須藤は反省していた。

「佐倉君のこれまでのこと、この二ヶ月くらい調べてたんだけどな。実のところ他の捜査も重なってたから後回しにしてた部分もあった。だから、のんびり構えてた俺のせいであって、お前は悪くない。気にすんな。……泣くなよ?」

「……承知しました」ほたるは小さな声で答えた。

 須藤は捜査の話に切り替える。

「で、監視カメラの映像の方は?」

「佐倉さんが連れ込まれた車のナンバーはわかりましたが、恩田準一等が確認したところ、盗難車でした。市内の道路に乗り捨てられていたのが先ほど見つかったそうです」

「それじゃ、その自動車も調べる必要があるな。ミユキが隊員を向かわせてくれるだろう。……と言っても、臭いすら残してはくれてないだろうが」

 ほたるも頷く。

「本当にビッグ4の犯行だったら、そうだと思います」

 

 応接用のテーブルには、巨大犯罪組織、ビッグ4(The Big Four)に関する資料が広げられていた。

 

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 『ビッグ4』。

 小説に登場する強大な犯罪組織と名称を同じくするその勢力は、今日の世界に君臨する巨大な偏倚集団であると、SLWドイツ本部から各国に警告が発せられていた。

 組織に関する正確な情報は少ない。

 わかっているのは、四名の人間がトップに君臨しているということ、トップの四名のうち数名が異能者であること、彼らには1から4の数字が当てられ、その数字で呼ばれていること、そして、犯行現場には四名のうち犯行に関係したメンバーが冠する数字を印刷したカードが残されること。

 トップに異能者が含まれていることから、世界各国のSLWがその特定に乗り出しているが、情報は錯綜している。

 アメリカ支部によれば、№1はロシアの軍人である。

 ロシア支部によれば、№1はイギリスの大学教授である。

 イギリス支部によれば、№1はアフリカで革命活動を起こそうとしている。

 アルジェリア支部によれば、№1はアメリカで活躍するハリウッドスターである。

 トップである№1に関する情報ひとつ検索しようとしても、この有様である。

 組織は完璧に統率され、犯行の証拠はカード以外全く残されず、情報は一切漏洩しない。

 そして今日、SLWを嘲笑うかのように、ビッグ4は目的の見えない犯行を繰り返していた。

 そんな中、中国支部から日本支部に一つの通達があった。

 『№1の腹心が、日本に渡った』というものである。

 そのため、日本支部でも捜査が行われたが、そもそも中国支部からの通達が真実であるかすらもわからず、未だ特定には至っていない。

 日本支部では、国際犯罪組織専門の第八捜査隊を設立し、関係者の特定作業にあたっている。

 

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「確かに封筒を渡された女の人の手は素手でした。それなのに、鑑識に回しても、わたしの指紋以外出てきませんでした」

 ほたるは、封筒を渡されたときの状況を振り返って、そう呟く。

 須藤は苦虫を噛み潰したような顔をして答える。

「カードの数字はⅣ。つまり、犯行に関わったのは№4ってことだが…… 素手なのに指紋も残さないってどんなカラクリだよ、まったく……」

「こんな意味のわからない組織と、佐倉さんに何の関係があるのか……」

「考えられるのは、これ(・・)だな」

 須藤は赤いファイルにとじられた、SLWドイツ本部研究室からの資料を手に取る。

 ほたるは不思議そうにそれを見ていた。

「それは……?」

「佐倉亨の能力についての、本部の研究員の見立て。日本支部では確認できなかったが、胸部のスクリーン画像に興味深い物が見えた」

「興味深い物……?」

「影だ」

 ほたるを側に呼び寄せ、スクリーン画像を見せる。

 ほたるにはドイツ語はわからないので、説明文と思われる部分は読めなかったが、胸部のスクリーン画像の中心、心臓の部分に赤い丸印が描き込まれている。

 赤い丸の中に、きれいな楕円形の影が、ほたるにもうっすらと見えた。しかし、丸印で注意を向けられなければよくわからないほど薄い影である。

「何ですか、これは……?」ほたるが訊ねると、

「ドイツの研究員の見立てでは、おそらく、Sn細胞の結晶(・・)

 須藤はさらりと答える。ほたるは目を見開き、須藤の横顔を凝視した。

「じゃあ、佐倉さんはやっぱり……」

「そう、八、九割の確率で結晶型ってことらしい。ここ二ヶ月で調べてきたことも併せて考えるに、ビッグ4の狙いもこれじゃないかと、俺は踏んでる」

「……本当に存在したんですね……」

 ほたるはもう一度、胸部の画像に視線を向け、そう言った。

 須藤はそんなほたるの様子を見て、一瞬だけ複雑そうな表情を浮かべた。

「……ホタル、俺はこれから佐倉君のご実家に謝罪に行ってくる。お前はここで待機だ」

「謝罪ならわたしも……」ほたるが言いかけたが、須藤はそれを遮る。

「誰かが本部に残ってなきゃいけないだろ。お前はここで役に立ちそうな情報はないか探してくれ」

 須藤はあらかじめ作っておいた理由を挙げ、そう指示した。実際のところ、高校生の女の子を連れて謝罪に向かえば、亨の母親から攻撃を受けるか、あるいは、母親が正直に怒りをぶつけることができなくなるか、どちらにしても良いことはないというのが須藤の本音だ。

 ほたるはそれを正確に汲み取って、「承知しました」と引き下がった。

 須藤は新しい制服を身に纏い、ドアの近くの壁にかけてあった小さな鞄を肩にかける。

「じゃ、行ってくる。何かあったら連絡してくれ」

「はい」

 ほたるが頷いたのを確認して、須藤は待機室を出て行った。

 

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「亨が誘拐されたですって……」

 あやのは、普段は閉めている仏壇の扉を開くと、その前で手をあわせる。

 亨の妹のさゆりには何も告げず、いつも通り小学校に向かわせた。

 さゆりを見送った後、すぐに単身赴任している夫に連絡した。

 電話の向こうの夫は、「落ち着いてSLWの人たちの言う通りにするんだ」と念を押した。あやのもそのつもりだった。そうする他には考えられなかった。

 あやのは仏壇の前で、あわせた手に額をすりつけるようにしながら祈る。

「お願い、どうかもう一度、あの子を守ってあげて……」

 仏壇の中には、おめかしをした小さな男の子が、幼稚園の門の前で恥ずかしそうに微笑んでいた。

 

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 気がつくと、亨は真っ白な部屋の中央に据えられた簡易ベッドの上に、入院患者のような検査着姿で寝かされていた。

『トオル、気がついた?』

『ああ。お前、ここがどこかわかるか?』

『わかんない。三時間くらい車に乗ってた。東京の外だとは思うんだけど…… ちなみに亨はコンビニで倒れてから二〇時間くらい寝てた』

 頭の中に幼い声が響く。亨は、一人だったらパニックに陥っていただろうと、その声の存在に感謝した。

『三時間なら、そう遠くには連れて来られてないよな?』

『そう思う。ホタル、スマホに気づいてくれたかな?』

『普通人がいなくなったら電話するもんだし、捜査隊員ってくらいなんだから気づくだろ。「スマホ渡せ」って言われたときは壊されるんじゃないかと思ってヒヤヒヤしたけど、セーフだったな』

『気づかれないようにマナーモード解除しといてよかったね。目覚まし時計代わりにしてるから通常モードなら常に音量最大だし』

 亨は、我ながら適切な判断だったとしばらく自画自賛するが、誘拐された事実は変わらないのでやはり不安に思うのは避けられなかった。

 どこかに出て行けそうなところはないか探そうと、ベッドから足を降ろしたとき、ドアが開いた。

「ああ、目覚めたか、佐倉亨クン?」

「……っ⁉」

 びくり、と顔を上げると、ストレートの金髪を肩で揃えた白衣の女性が、縁のない眼鏡越しに緑色の瞳を輝かせ、亨を見ていた。

「久しぶりだね。私のことを覚えているかい? 覚えていなくても無理はないが。何せ十年以上前に一度会ったきりだ」

 亨が頭の中で『見たことあるか?』と訊ねると、相手は『うーん、なんか会ったことあるような……』と、よくわからない返答をした。

 歳の頃は母親と同じくらいだろうか。亨の目には女盛りはすでに過ぎているように見えたが、若い頃はもてはやされただろうと思った。

「ー№3。検査の結果を聞きたいのですけれど」

 亨が聞き覚えのある声だと思って、白衣の女の後ろに目を遣る。

 白い服にサングラスで顔を隠した女の子が(大人びた声の印象よりかなり幼く、亨より少し年上と思しき年頃の少女だった)、到底隠し切れないほどの不満を滲ませて、壁に背を預け立っていた。その隣には、ひょろりと背の高い男が顔も隠さずに、にやにやと亨を見ている。

 №3と呼ばれた白衣の女は邪魔をされたと言わんばかりに機嫌を急降下させた。「五月蝿い、千里眼(クレアヴォイアンス)。お前に言われなくてもそのつもりでここに来たのだ。……亨クン。君の異能の根

源、SLWの馬鹿者どもはまだわかっていないようだね? Sn細胞発見の功労者である私が、代わって教えてあげよう」

 少女の一声で仏頂面を浮かべたかと思ったら、くるりと喜色満面で亨を振り返る、その変化の速さはまるで子どものようでもある。№3は大仰に両手を広げ、声高に宣言した。

「君は人類初の、人工的(・・・)()創造(・・)された(・・・)結晶型(・・・)()異能者(・・・)()!」

「あ、やっぱり結晶化してたんだ?」

 ひょろりとした男が、何が面白いのか、相変わらずにやにや笑っている。

 亨だけが顔を強張らせていた。

『結晶型って、このおばさん言った?』

『……』頭の中の声は答えない。

 突飛としか思えない話に付いて行けない亨を余所に、サングラスの少女は「それで?」と、№3に先を促す。

 №3は聞き返した。

「それで、とは?」

「ですから、結晶型の創造には成功したのでしょう? その能力は何なのですか?」

「無茶を言うな。結晶型は未知の存在だ。いくら私でも個別の能力まで把握することはできない」

「はあ?」少女は呆れたように、額に手を当てた。

 №3は振り返って、逆に少女へ訊ねた。

「それはお前が調べることだろう? 千里眼(・・・)で亨クンの能力はわからないのか?」

「……あのですね、私にわかるのは本人が知っていることだけです。この子、自分が異能者だってことすら気づいてなかったのでしょう? 能力なんてわかりっこありません」

「なんだ、出来損ないが偉そうに」

「その出来損ないに頼ろうとしたのはどこの誰です?」

「……千里眼、貴様……」

「ストーップ、二人とも。幹部と腹心が喧嘩したって聞いたら№1が悲しむよ?」

 険悪になりかけた空気を、ひょろりとした男が暢気な声でかき消す。№3は舌打ち一つで女の子から目を逸らし、女の子も大人しく黙った。

 男は「亨クンの能力はまた今度にしてさ。とりあえず亨クンにごはんをあげなきゃ。朝御飯、食べ損ねちゃったんだもんねぇ?」と、他人を苛立たせる笑顔を亨に向けた。

「……誰のせいだよ」数十時間ぶりに出した声は掠れていた。

 男は「僕たちのせいだね、ゴメンゴメン。コンビニのおむすびなんかよりよっぽど良いもの用意させるから、怒らないでよ?」と、亨の気に障るよう演技しているとしか思えない馴れ馴れしさで応じた。

 少女は呆れた視線を投げ、黙ってドアの向こうに消えていく。男は亨に向かってひらひらと手を振り、少女に続いた。

 №3はいっそ気味の悪いくらいの猫撫で声で「そうだな、食事の準備をして来よう!」と言うと、亨に背を向けて部屋から駆け出ていった。

 展開に理解が追い付かないまま残された亨は、一人、

「……何なんだよ、一体……」

 応えてくれる当てのない空間に、ぽつり呟いた。

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