第12話 ミーナ

 係員によってステージ全体を見渡せる席を示された№1は、自分の左隣に風音を座らせる。
 左肘を肘掛に乗せて、風音の顔を覗き込んだ。
「どうです、風音。あの『時代の寵児』とやら、なにか企んでいるようでしたが」
「さすがです、№1。どうしてわかったのですか?」
「隠したいことがある人間は、どうしてもそれを隠そうと大仰になってしまうものですよ。特に、女性はね」
 風音は「ふうん」と、あの魂の抜けたような女性のどこに大仰さを感じたのか不思議に思った。
 それはさておき、主人の問いかけに答える。
「あのミーナとかいう研究員。父親を殺したアニルに復讐するために人生のほとんどを捧げたようです」
「ほう。それは美しい」
 №1はくつくつと笑う。
 風音は知っている。彼は一途な人間が大好きなのだ。……その対象が何であれ。ビッグ4を設立するとき、アルベルティーナ(№3)に声をかけたのも、彼女の研究への一途さを気に入ってのことだ。
「それで? その復讐は成功しそうですか?」
 №1は訊ねる。その様子に、風音は不思議そうに首をかしげた。
「№1、もう答えはわかっていらっしゃるのでしょう? どうしてわざわざ私に聞くのです? それに、展開が見えていたとしても、物語の結末をあらかじめ知ってしまうのは面白くないでしょうに」
「風音は意地の悪い子ですね。まあ、そんなところも可愛いのですが」
 「可愛い」と言われて喜ぶ性格でもない風音は、ますますもって不思議に思う。
「だって、早く知りたいではないですか。人生のほとんどを復讐に費やしたミーナが、アニルにどう立ち向かって、どう…… 敗北するのか」
 №1はにこりと微笑み、勝負の結論を先んじて仄めかした。
 それを聞いて、風音は頷く。
「おっしゃる通り、ミーナの負けです。アニルは…… 一筋縄ではいかない男です」
 開演のブザーが鳴り響いた。

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「ラン、ランララランランラン♪」
 カツリ、カツリとヒールを踏み鳴らして歩く少女に、係員の数名が気づいた。そのうちの一人が声をかける。
「お嬢ちゃん、ここは入場制限がかかってるんだ、関係者なら証明書を……ッ!?」
 その姿が一瞬にして掻き消える。
 状況を見守っていた係員たちは目を見開く。少女に声をかけた係員は、反対側の壁にナイフで磔にされ、気を失っていた。
 少女が口角を上げる。
「出合えー、出合えー! 賊だぞー!」
『おい桜、「出合え」は襲撃された側が仲間を呼ぶために使うんだよ。襲撃する側が使ってどうする』
 少女が装備したインカムから、聖の呆れたような声が響く。
 桜はパチパチを目を瞬かせて訊ねる。
「え? じゃあ賊はなんて言えばいいの?」
『知らねえよ! ……あー、「御用改めである」は警察の使う言葉だしな…… じゃあここは「やーやー我こそはー」って名乗っとけ』
「オッケー!」
 聖の疲れたような、どうでもいいような声とは反対に、桜が元気よく頷く。
 騒ぎを聞きつけた係員と、明らかに研究員ではない武装部隊が桜の眼前で入り乱れる。
 その武装部隊の先頭に、ハサンがいた。
「カラスマだ! 非戦闘員は中へ! ここから先には通すな!」
 桜が小首を傾げる。
「誰だっけあいつ。どっかで見た気がする……」
『桜、その先頭にいるのはハサンだ。お前も戦っただろう』
「いつ?」
『三年前! ……エジプトでのオシリス・セト奪還作戦でお前が切り込み隊長を引き受けたときに相手方で戦闘指揮を採った男だよ』
 桜はしばし記憶を探る。
「……あー思い出した、アレね。世界最強の用心棒とか言われてたから期待して行ったらクスリでラリって暴れてるだけだったから期待外れも甚だしくて三分で片付けたアレね。まだヤク漬けなの? あいつ」
『いや、薬物による異能の強化研究はお前のおかげで限界があるとされておじゃんになったからな。今のあいつは戦闘に特化しているが普通の異能者…… ということになっている。どっちにしろお前の敵じゃない』
「じゃあ早速……」
『忘れんな、お前は時間稼ぎだ。前みたいに三分で片付けたりしたらその足りない頭にヨーグルト注ぎ込むぞ』
 桜は踏み出しかけた足を引き戻す。聖に念を押されなければ、危うく自分の役目を忘れるところだった。
「危ない危ない…… どのくらい時間を稼げばいいんだっけ?」
『三十分。思う存分、派手に戦え。ただし俺がGOサイン出したらすぐに片付けて指示された場所へ迎え』
「応(オウ)」
 軽口を叩きあっている間に非戦闘員は避難し、桜の眼前に並ぶのは黒い戦闘服を着た傭兵軍団。
「カラスマだ! お前たち、油断するな!」
 ハサンが叫ぶ。
 名前を呼ばれた桜は、美しい貌ににやりと笑みを乗せた。
「やーやー我こそはー、ノアの箱舟の『魔獣』烏丸桜!」
 朗々と名乗りを上げる。ジャケットの内側から細身のナイフを取り出して両手に構える。
「手加減はしてあげる…… 喰われたい奴からかかってきなさい」

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 ドスン、という重い音が地下に響き、アニルは眉をひそめる。
 ラップトップの画面を見ていたミーナも、一瞬だけ顔を上げた。
「何事ですか、タウフィック先生?」
「……カラスマが出たとの情報です」
 その瞬間、ステージ裏に緊張が走った。
 沈黙を打ち破ったのはアニルだった。
「片付けてください、タウフィック先生。今日の品評会はなんとしても成功させなければならないのです」
「ハサンが相手をしています。いざとなれば私も出ます。ご安心を」
「信頼していますよ」
 アニルが念を押すようにそう言った。
 ミーナは、先日、自分の研究室を訪れた美しい少女が、この戦闘服の男たちとどう戦うのか、若干の興味はあったが、見物しに行くつもりはさらさらなかった。
 それよりも、今日の品評会を――ミーナにとって――成功させなければならなかった。
 そうでなければ、今日までやってきたことが無駄になってしまう。
「ミーナさん」
 アニルに名前を呼ばれて、顔を上げる。
 いつも通り、胡散臭い笑顔の上司がいた。
「いけますね?」
「はい、問題ありません」
 ラップトップを仕舞う。すでに号令は出した。
「いきましょう、所長。私の成果を早く皆様のご覧に入れたい」
 アニルは満足そうに頷いた。
「その意気です、ミーナさん。皆さんを驚かせてみせましょう」
 アニルは挨拶のためにステージへと出て行く。
 その背中を、ミーナとタウフィックが見送る。
 ミーナは視線に気づき、自分よりずいぶん高い位置にあるタウフィックの顔を見上げた。
「あなたはどうしてここにいるのですか? カラスマの相手をすべきでは?」
「アニル所長に命じられているのです。ここにいるようにと」
 無表情で答えたタウフィックに、ミーナは小さな違和感と不安を覚えた。
 しかし、マイクを握ったアニルが仰々しく挨拶を始めるのが聞こえたので、そちらに意識が向いた。
 ちくちくと背中に刺さるタウフィックの視線が、いつまでも気味悪かった。

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 ドスン、という重い音が遠くから聞こえ、アンジュはハッと目を覚ました。
 アンジュは窓のない部屋で不安げにドアの向こうの様子を想像する。
 今の音はなんだろう。なにかが投げ捨てられたようにも聞こえた。
 ミーナが巻き込まれていたらどうしよう、思うのはそのことばかりだった。
「魔王さまとも、あれっきり連絡が取れないし……」
 少し前に、理仁と出会った電子の世界を思い出す。
「どうすればあの世界に行けるんだろう……?」
 あれから何度思いを馳せても、あの世界に行くことはできなかった。
 過去の五人の自分が最終的に辿り着いたあの場所には、まだ解決していない問題が残されている。
「あの古いフロッピー、なんだったのかな……?」
 あの世界で初めて見たフロッピーディスク。
 あれがどうしても気にかかっていた。
 あのフロッピーディスクが、アンジュにとってはとても重要なもののように思えた。
「あーもう! わかんないよー!」
 そう叫んで硬いベッドに飛び込むと、額に硬質なものがぶつかる感覚があった。
「痛っ…… あ、髪飾り」髪飾りが傷ついていないか確認してから、そっと両手で包み込む。
「ミーナが見守っていてくれますように!」
 願いを込めて呟いて、前髪をまとめて髪飾りで留める。
 そう、自分には一番の友達が付いている。
 仕事は完璧にこなすのに、人付き合いになると途端にダメ人間になって、でも、本当は、大切な人のためならどこまでも優しい、そんな女の子が。

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