エピローグ タージ・マハル

 白く輝く霊廟を仰ぎ、李紅元は「ほう」と感嘆の息を漏らした。
「何度も訪れていますが、いつ見てもやはり美しいですね。心が洗われる気がしますよ。そう思いませんか、風音?」
 隣に立つ風音は、確かに荘厳だとは思ったがあまり感銘は受けなかった。
 ただ、そんなことを主人であり育て親でもある人に正直に言うわけにもいかないので、
「綺麗ですね」
 とだけ答えた。
 別に感動して言葉が出ないというわけではないらしい、あまりの素っ気なさに李は苦笑する。
「まあ赤の他人のお墓ですし。あまり楽しいところではありませんね。風音にはショッピングモールの方がよかったでしょうか?」
「いえ、そういうつもりでは……」
「いいんですよ、風音にはいろんなものを見せたいという私のワガママなんですから。付き合ってくれてありがとう」
 気を遣っているわけではなく、本心から言っているようだったが、風音は彼の好意を無駄にしてしまったと暗い気持ちになった。しかし、やはり建築物の美しさはよくわからない。風音はむしろ、こうして休日に李の隣を歩けることの方が楽しいし嬉しいのだ。
 李は霊廟に歩を進めながら、同じく歩き出す風音に低い声で話しかける。
「次の仕事ですが、風音が主導してみてはどうかと思うのです」
「私が主導、ですか?」
 風音は繰り返した。風音はビッグ4のリーダー・№1の腹心としてそれなりの仕事を任されてきた。今回もそういった仕事だろう。
「ええ。もちろん№4と懐刀(ダガー)を補助に付けますがね。……№3が十年ほど前に行った、Sn細胞人工結晶化実験の被検体のことを覚えていますか?」
「はい。交通事故で重体になった少年に実験段階の薬を投与したと」
「その被検体が、いつの間にかSLWに保護されてしまったというので、どうにかして連れ戻せと、№3が騒いでいるのですよ」
「……」風音は呆れてものが言えなかった。「……それは、№3の自己責任では」
「まあ、そうなんですがね。しかし、気になりませんか? 貴女に新しい仲間が増えるかもしれないのですよ? 結晶の所有者が」
「私は出来損ないですが」
「そんなことを言わないでください、貴女は立派な結晶型能力者です。次の件も、お任せしますね。情報をまとめ次第、№4を通じて貴女に連絡します」
 主人の指示を拒否するわけがない。風音は「承知しました」と短く答えた。
 李は仕事の話が終わったところで「おや?」と、風音の雰囲気がいつもと違う原因に気づいた。
「そういえば、今日はイヤリングをしていないのですね」
 風音は頷く。「昨日の騒ぎで、片方失くしてしまったようです」
 騒ぎがあったと言っても、風音たちはすぐに脱出したため被害は受けなかった。ただ、研究所で落としたとすれば、李に襲いかかろうとしたアニルを押さえつけたあの時だろう。
 琥珀のイヤリングは風音には不相応に高価なものだったし、着用するのは李と会うときだけだったが、大切なものだったので、昨晩失くしたと気づいたときは風音にしては珍しいくらい気が沈んだ。
 風音は申し訳なさげに漏らす。
「李さんに頂いたものなのに、失くしてしまうなんて……」
 李は少しだけ目を見開いて、「おや、気に入ってくれていたのですか」と逆に訊ねた。「年頃の娘が着けるには少しおとなしいデザインだと思っていましたが」
「私は李さんがくださるものはなんだって嬉しいです」
「……」
 返事がないのを不思議に思って風音が李の顔を見上げると、いつもの人を小馬鹿にした笑顔ではない、心底嬉しそうに頬を緩めた優しげな義父の顔がそこにあった。
「李さん?」
「それではやっぱり、ショッピングモールに行きましょう。新しいものをプレゼントしますよ」
 李がそう言って踵を返すので、風音も慌てて彼を追いかけた。
 インド裏社会を騒がせた武器商人とノアの箱船の戦いを目の当たりにした直後でありながら、ビッグ4の首領達はきわめて穏やかな休暇を過ごしていた。

 高遠風音が佐倉亨と出会うのは、それから二ヶ月先のこと。

 
 
【幽霊少女の奏鳴曲】了

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