或る天才の大晦日の独白

 

 凧は危なっかしく風を受けながら、どうにかそれを掴んで宙を舞う。
 銀テープと王冠がキラキラ輝いて、お菓子の箱とキャンディの包み紙がパタパタ靡いて、小石はどっしりと重心を調整してくれている。見た目には不格好で、けれどたくさんの思い出を乗せた、それは空の宝船。
「……タコって、あれのことだったのね」
「そうだよ」
 朝早くから広場まで手を引かれて来て、若干不機嫌だった桜は、初めて見る凧に目を丸くした。
 それはもちろん、凧という風物詩を初めて見た驚きと、あれだけの装飾品を張り付けられてなお空を舞っていることへの感心からである。
「あんなに重そうなのに、すごいのね。異能じゃないんでしょ?」
「おうよ。科学と天才の力だ」
 設計図を作り直し、木枠を組み直し、装飾についてあれこれ議論していたら、いつの間にか年は超えていて、初日の出の時刻になっていた。慌てて桜を起こし、ついでに敷地をほっつき歩いていた理仁に操縦を任せて。
「気持ちよさそうに飛ぶのね、凧って」
 寝起きは不機嫌だった桜の声も、今は弾んでいる。
 やがて、十兵衛に向き直って、桜は「ごめん」と頭を下げた。
「タコは空を飛ばないって、嘘つきって言って、ごめん」
「いいよ! 飛んでるの見て、ビックリしたでしょ!」
 いたずらが成功したみたいな十兵衛の表情のどこにも、桜への悪意はない。単純な奴だと聖も笑ってしまった。
 糸を操る理仁はコツを掴んだのか、凧を自在に泳がせて見せた。
「……凧あげも、空を見上げるのも、久しぶりだな」
 聖も無言で同意し、空を見る。
 いつもより空気は爽やかで、自分もあの不格好な凧と一緒に空を飛んでいるような、そんなバカみたいな気分に浸るのが幸せだった。

 

「十兵衛は、ずっと昔から聖を慕っていた」
 理仁が執拗に繰り返すので、聖は眉をひそめた。
 それに構わず、理仁は十兵衛の寝顔を、父親のような、慈愛に満ちた目で見つめていた。
「聖は、十兵衛や桜とは違う。……オレは、良くも悪くも、意識下でも無意識下でも、他人を動かしてしまうらしい。いろんな人間が、変わってゆく。オレが、変えてしまう」
「そうやって桜と十兵衛を助けたんだから、いい事じゃねぇか」
「そんな中で、聖は変わることなく、そばにいてくれた」
 金色の瞳が、聖に向けられた。緋色を帯びた、魔王の瞳。
 温かく、力強い。
「オレとも、桜とも、十兵衛とも。対等に接してくれる貴方がいるから、オレ達は”仲間”でいられたのだと思う。そしてオレも、きっと桜も十兵衛も、これからもずっと、仲間でいたい。其処には貴方が居なければならないんだ」

 

 ── そっか。
 俺は、彼らの輪の中に居なかったからこそ、彼らとともに在れたんだ。

 

 そう考えると、ずっと引っかかって取れなかった喉の奥のなにかがすとんと取り除かれた心地になった。
 同時に、妙な線引きにこだわっていた自分が可笑しくなる。
 ふと思い出して時計を見ると、日付が、年が変わるまで、あと数分。
「……今年もありがとうな。来年からも頼むぜ、理仁」
「オレからも礼を言う。ずっとありがとう、そばにいてくれて」

 

『ひじりさん、ありがとう!』
 あの時の少年の声が、脳裏に響いた。

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