魔法使いによる四重奏

 

 仮にどんな出会い方をしたとしても、決して分かり合えないであろう奴というのは、哀しいことに恐らく、誰にでもいる。育った環境が違う別の個体なのだから致し方ない。少し歩み寄ってみて、ああ、此奴とは分かり合えない、そう感じたら双方のためになるべく避ける。基本的に争いを好まない性質の廣光は、そうやって生きてきた。 
 ただ、分かり合おうという気なんて塩の一つまみほども生じない、それどころか、視線が合ったと感じたら衝動的に斬りつけたくなる相手というのは、そうそういないのではないかと、それなりに長い時代を生きてきたつもりの廣光も思う。自分を迎えに来たという、ゴーグルで目を隠した白皙の死神は、まさしくそういう相手だった。 
 奴の握る短剣から滴る赤黒い液体は、あの戦争で飽きるほど浴びた。……鉄錆の臭いに懐かしさを感じてしまう自分が、汚らわしく思えて嫌になる。 
「……何用だ」 
 黙り込んだままの男に、仕方なく廣光から来訪の理由を問うた。 
「……テメエがノウミ・ヒロミツか」 
「だとしたら何だ」 
「テメエを連れて来いと、上からのお達しでな」 
「そのために傷つけたのか。抗う術もない僧侶たちを」 
 廣光はこの禅寺に、かれこれ六十年ほど身を隠していた。他の修行僧のように念仏を唱えて座禅を組むわけではなく、かといってやることもないので、かつて母だった人の小さな位牌と向かい合って、気が付いたら六十年。昔から奉公に来ていた少年は還暦を迎えてしまったのに、廣光だけは身体的変化がない。きっと、あの戦争でたくさんの命を奪ってしまったから、神だか仏だかが彼らの分の人生を廣光に押し付けたのだ。何人殺したかなんて覚えていないが六十年くらいではまだ一人分に届くかどうかだろう。これ以上、誰かが老いて死んでいくのを見送ることしかできないだなんて耐えられなかった。だから、もう新しい罪を重ねないよう、ここに籠って母を弔うことを選んだ。だというのに。 
「テメエがさっさと出てこねぇからだろ。御神体にでもなったつもりか、戦争の悪魔のくせに」 
 短剣を握る男はつまらなさそうに、罪を重ねた理由を吐き捨てた。 
 反吐が出る。それはこの男のせいか、漂う血の香りに酔う自分のせいか。 
 長年連れて回った刀は、寺に預けてしまったから、手元にはない。だとしても、廣光にはこの歓迎できるはずもない客を捻り潰すには十分な手駒がある。 
 ”魔王陛下”の称号は伊達ではない。あらゆる物理法則は廣光の指揮下で変質し、意味を成さなくなる。さて、この男はどう片づけてしまおうか。空気を凝集させ燃やしてもいいし、絶対零度の世界で打ち砕くのもいい。……廣光の思考はいつしか、目の前の男を抹殺する意志に憑りつかれていた。 
「ユーリ! 我が同胞よ! これはいったいどうしたというのです!」 
 しかし、部屋の外から響く非難の声が、廣光を平静へと引き戻した。 
 男に続いて入ってきたのは、黒い髪を頭の後ろで団子状にまとめた、古めかしい洋装の少女だった。その細い腕には、かつて廣光が携えていた太刀が抱えられている。 
 少女の非難は明らかに、廊下で倒れこんでいる僧侶たちのことを指していた。ユーリと呼ばれた男は先ほどと同じく、「コイツがさっさと出てこねぇから」と薄ら笑いを浮かべながら言った。 
「これでコイツもここにいられなくなるっつぅ寸法よ」 
「友よ。この罪はあなたの魂を蝕み続けるでしょう」 
「くだらねぇ」 
「友よ!」 
 興が冷めた、そう言ってユーリは少女の制止も聞かずに部屋を出て行った。 
 廣光の頭にもようやく冷静さが戻ってきて、同時に嫌悪感が身体を支配した。先ほど、自分はユーリをどうしようとしていたのか。できるだけ無残な形で殺してやろうと、持ち駒を並べて、楽しんでいなかったか。いつかの戦場の”魔王”が、頭をもたげてケタケタと嗤う。額に手を当ててその妄想を無理矢理閉じ込める。ずっと動かしていなかった掌は血の巡りが悪くなっていたのか死体のように冷たかった。 
「嗚呼、友よ、我が同胞よ。ずっと探していたのです。こんな巡り合わせでなければこの腕で抱きしめて私の喜びをお伝えしたいくらい。ですが今は、……」 
 部屋の外では比較的被害の少なかった僧侶たちが倒れこんで動かない仲間を救護しようとしていた。それはこの少女にとっても痛ましい惨劇であったらしく、幼い顔立ちに不釣り合いな、深い悲しみを湛えた瞳をそっと伏せた。 
「まずは、彼らに治療と謝罪をさせてください。そして一度、貴方にお話をさせていただきたいのです。わたくしたちの犯した罪、そのすべての被害者を救う、贖罪の方法を」 
 贖罪。その言葉に廣光は、暗闇の中の灯を見た気がした。 

 

 結局そんな灯は紛い物で、廣光たちは罪に罪を重ねることになる。そのことに、この少女──全知全能の異能者、ベアトリクス・ノーチェスですら、この時はまだ気づかなかった。 

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